医師や看護師などの他職種から「揉んでさすって、歩かせるだけ」と揶揄されることもある理学療法士(PT)の診療内容。
私自身、耳の痛いご指摘に対し恐縮する次第です(;^_^A
今回は、前回の記事とは逆に漫然と同じリハビリプログラムを続ける『ワンパターンPT』について言及したいと思います。
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1.リハビリ内容のパターン化…3つの理由
リハビリの実施内容がワンパターンになる理由としては、以下のようなケースが考えられます。
①効果が出るまで継続する必要がある場合
筋力トレーニングは、一定の期間(少なくとも1ヶ月以上)続けて行わないと、効果は上がりません。
関節の可動性を拡げるためのストレッチ運動も、長期間継続することで結合組織の柔軟性が改善していきます。
日常生活上の動作を習得するための練習も同様です。ひとつのパターンを何度も繰り返すことで神経系のネットワークが最適化され、だんだん上手になっていきます。これは学習理論的にみて正しい方法論です。
そして、立案したプログラムがその患者さんにとって有効だったかどうかを評価(アセスメント)し軌道修正する意味でも、ある一定期間同じ内容を継続して様子を見ることは担当PTにとって大切です。
これらはすべて、良い意味での「ワンパターン診療」と言えるでしょう。
②状態が安定している慢性期・維持期の場合
例えば介護保険のリハビリサービス(老健の入所・通所リハ、訪問リハなど)の場合、対象者は病状が安定している要介護高齢者が中心です。
病状の変化に対応して実施内容を日々更新する急性期と違い、じっくりと腰を据えて同じパターン・内容を継続する必要がある場合も少なくありません。
これも、明確な目的と一貫性があるのなら特に問題は無いと思われます。
③「惰性」で行っている場合
残念ながら、こういうPTは多いと思われます。
慢性期・維持期の対象者に「現状を維持する」目的で介入する場合などは、それが長期間になればなる程、将来の到達目標が不明確になりがちです。
これは、患者さん・担当PTともに陥りやすい「マンネリ化」へとつながりかねません。
2.「説明なきワンパターン」に要注意!
ワンパターンな内容をあえて意図的に行っているのか、それとも漫然と続けているだけなのかを患者さん側から見分けるには、その担当PTが「診療内容や目標・方向性について納得のいく説明ができるかどうか」である程度判断できるでしょう。
ちゃんと説明のつく論理に基づき、一貫性をもって実施しているのであれば、内容がコロコロ変化するのであれワンパターン化であれ何の問題もありません。
医療を受ける方々にあらぬ誤解を生じさせないようにするためには、今までの記事で繰り返し述べたように、
「説明→理解→合意→実行」
このプロセスを日々の診療場面のなかで繰り返すことが医療従事者の責務です。
ただ私が申し上げるのもおかしいのですが、患者さん(ご家族)の側も医療に対し受け身になるのではなく、積極的に診療内容に疑問を持ち、それを医療者側へ投げかけていく必要はあると思います。
医療機関は全ての病気や障害を治してくれるわけではありませんし、医療従事者がみな真面目で完璧、常に患者さんの立場を第一に考えているという訳ではないですから…。
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3.アプローチの対象は生活環境にも及ぶので…
特に介護保険サービスでは、「自立支援」という理念はただのお題目のように成り下がり、現実として「お世話型」のマンネリなサービス提供になってしまうケースが多いようです。
これはリハビリサービスの分野でも同様で、到達目標がはっきりしないまま訪問リハビリを同じパターンで延々続けているといった例も多数みられます。
しかし、比較的状態の安定している対象者であっても、長期的にみれば加齢や疾患の進行によって心身機能は少しずつ低下していくものです。
それに合わせてアプローチの内容を変更し、できるだけ自立した(その人らしい)生活が送れるよう支援するのがPTとしての本来の役割です。
例えば、運動療法によって身体機能が改善しなかったとしても、自宅で安全に暮らしていけるよう福祉用具や住宅改修の提案をするというのも、PTの専門知識を活かした介入方法のひとつです。
状態が変化しているにもかかわらずアプローチ内容が更新されず、そのため対象者の生活が何も改善しないというのであれば、生活環境を把握するための評価が不適切と指摘されても仕方ありません。
4.若手PTの方々へ…目先の「ありがとう」に流されないで!
リハビリ(理学療法)と称して、実際にはマッサージばかりしているPTが今でも多いことに驚きます。
過去記事でも掲載しましたが、ここで法的解釈としての「理学療法の定義」をもう一度確認しておきましょう。
<理学療法士及び作業療法士法 第二条 一項>
「身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えること」
理学療法の「目的」は言うまでもなく基本的動作能力の回復を図ることであり、マッサージはその目的を達成するための「手段」として必要に応じて使用するものです。
そうは言っても一般の人にとっては、
・あん摩マッサージ指圧師
これらの区別がつかない方々も多いのではないでしょうか?
それくらい、『マッサージ屋さん(※)』と他職種から陰口を叩かれるPTは後を絶ちません。
※マッサージを生業としている方々を侮辱するものではありません。「マッサージは医療手技のひとつであるが、PTの主たる業務ではない」という意味ですのでご容赦下さいませ m(_ _)m
例えば、肩関節周囲炎の患者さんが肩の痛みによって関節の可動性が低下し、衣服の着脱や排泄動作に支障があるといった場合、
①肩の痛みを引き起こしている筋肉の緊張を、マッサージで和らげる。
②痛みが軽減したところで、関節運動や動作の練習を行う。
このような手順を取るのはPTとして概ね正当でしょう。
しかしそうではなく、患者さんの「今日は腰が痛いから、ちょっと揉んで欲しい」という求めに応じて延々とマッサージを続けるといったケースについては、少し誤解を招く表現かもしれませんが「慰安的マッサージ」とも呼べるものです。
多くの場合、マッサージによる痛みの緩和は、即効性はあるが持続性は無い性質のものです。
まして「◯◯先生に揉んでもらわないと腰痛が取れない」というように特定のPTに対し依存的になってしまうのは、「自立(or 自分らしい生活ができる)を目指し、周囲もそれを支援する」というリハビリテーションの理念に合致するものではありません。
これには賛否両論あり、PTの間でも見解が分かれるところですが…。
少なくとも私は「マッサージ主体のアプローチは、本来のPT業務とは異なる」と考えています。
もちろん、全ての対象者が将来的に「自立」を目標にできるかと言えば、残念ながらそうではありません。
そういう方々に、一時のものであっても「気持ちいい」と思えるマッサージを施すのが必要な場面も全く無いわけではありません。
ただ、
「あ~気持ちよかった。先生(担当PTのこと)のおかげで楽になったよ。ありがとう!」
「あんたの揉み方が一番効くよ。これからも頼むね」
こんな風に患者さんが喜んでいるからといってそればかり続けるような『ワンパターンPT』は、対象者にとって何が本当に大切なのかを熟慮しているのでしょうか?
少々手厳しい言い方ですが、「目先の自己満足に終始している残念な医療従事者」とみなされても仕方がないと私は考えます。
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