このシリーズでは、将来の職業として「理学療法士(Physical Therapist:以下、本文中PTと略します)」を検討している方々へ、職業選択における私なりの見解や、PTになるための心構え、勉強方法などを発信していこうと思います。
私自身、職歴20年とはいってもまだまだ未熟者ですので、どれほどお役に立てるかは分かりませんが、この職種を志す方々に対して何か少しでも目指すべき方向性を示すことができれば…と考えていますので、ご一読頂ければ幸いです。
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1.理学療法士をめざすきっかけ
数ある職業の中から、あえてPTを選ぶ理由とはどんなものしょうか?
とくに分類する大きな意味があるわけではありませんが、ちょっと整理してみようと思います。
①自身(あるいは家族)の病気やケガがきっかけでPTを知った。
ちなみに筆者は、自分自身が病気で苦しんだことと、その中での医療従事者とのかかわりが大きなきっかけになりました。
私と同じような理由でこの職業を選ぶ人は結構多いようで、「部活でケガをした時に、病院でPTというものを知って…」というようなケースはよく聞かれます。
似たような事例として、祖父母や両親といった家族の方が病院でリハビリをするようになり、そこで初めてPTの仕事ぶりを見て、やりがいのある職業であると感じた…といった理由も多くみられますね。
②社会的・経済的に安定した職業(国家資格)だから。
こちらは、職業選択をする当人よりもむしろ親とか進路指導の教師などが、子供にPTを勧める理由として言われることが多いように思います。
これからは超高齢社会、すなわち医療・介護、それもリハビリに携わる専門職は今後も必要不可欠だから…というわけです。
筆者も、よく親類から
「病院とか介護施設は絶対に必要だから、食いっぱぐれがなくていいよね」
などと言われることがよくあります。
本当に「食いっぱぐれ」がないかどうかは微妙なのですが…。
この件はPTをめざす人にとっても、子供の将来を案じるご両親にとっても重要な要素だと思いますので、また後ほど私の見解を詳しく述べたいと思います。
③「脱サラ」したい。
20数年前、私が養成校に入学した当時も、社会人経験者の同期生が1/3近くを占めていました。
「一般企業に勤めてきたが、会社の歯車のようになって毎日サービス残業。売る必要性を感じないような商品を営業して売り回る日々で、社会に貢献している実感が無い」
「いくら景気が回復したと言っても中小企業は常に経営的に苦しく、将来に不安を感じた」
「そんな中、両親が病気で入院した時にPTさんのリハビリというものを見て、やりがいのある良い仕事だと強く思った。将来性という点でも安定していると感じた」
企業人であり続けることへの疑問や不安、そこに前述①・②の理由が加わって…というケースですね。
このような志望動機も、社会人経験者から聞くことが多かったです。
④医療従事者の身内(親・きょうだいなど)に影響を受けた。
親がPTだったので自分も…とか、PTではなくても、類似のリハビリ関連職種である作業療法士(Occupational Therapist:以下OT)や言語聴覚士(Speech-Language-Hearing Therapist:以下ST)を選択するケースも、私の周囲には結構います。
そういう人に話を伺うと、「とくに仕事の内容について親から詳しく聞いたことはないけど、それなりに影響は受けたのだろうと思う」と異口同音におっしゃいます。
職業に関する遺伝的な適合性というのも少しは関係するのかもしれませんが、やはり子供は「親の背中を見て育つ」ということなのでしょう(ちなみに筆者の両親は医療職とは全く無関係ですが)。
政治家や芸能人には2世・3世など珍しくもありませんね。
そういう方々は「親の七光り」が期待できる部分も多少あるとは思いますが、医療従事者の場合は、状況によりけりでしょうか…。
2.志望動機は何でもよい
上記以外にもPTを志す理由は人それぞれ、いろいろあると思います。
では、それらの志望動機が「将来、有能なPTになること」と何か関連性があるのでしょうか?
私の印象としては、本質的にはあまり関係ないような気がします。
私自身はかつて「患者さん」の立場だった時、白衣に身を包んだ医師とか看護師、PTの方々が「優しくて知性あふれるエキスパート集団」としてキラキラ輝いているように見え、大いに憧れたものです。
しかしながら、ある職業に憧れるということと、自分がその職業に向いているかどうかということとは別です。
むしろ、自分にはとても出来そうにないからこそ「憧れの対象」になるのかも知れません。
実際私は入学してから、憧れていた医療従事者というものが自分には能力的に及ばない雲の上の存在だと気づき、長年にわたり悩み苦しむこととなりました(それは今も続いています)。
逆に、PTなんてどんなモノかよく分からないまま、親に勧められて何となく養成校に入学してみたら、思いのほかやりがいがあり、自分の性格にもピッタリ合っている仕事だった…ということもあり得るわけです。
もちろん、「親に強く勧められて入学してみたものの、思っていた職業とは全然違った」といって、勧めた親のことを恨んだ…といったケースもあるでしょう。
しかしそれは、最終的に自分で選択した進路であることを棚に上げて、「思うようにいかない」ことを親のせいにしているだけかも知れません。
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3.その職業に自分を適合させる
人生というものは、ままならないものです。
大恋愛ののちに周囲から祝福されて結婚しても、お互いの価値観の違いが徐々に表面化し、うまくいかなくなったりすることはよくありますし、逆に見合い結婚でも一緒に暮らしているうちに意気投合して互いに助け合い、素晴らしい家庭を築くこともあるでしょう。
職業についても同じで、それこそ相思相愛、自分が強く憧れ、また自身の性格にも向いている(と思われる)職業に就いたとしても、思うようにならないことは多々ありますし、逆に、気の進まぬままに就いた職業で、思わぬ充実感に目覚めることもあるでしょう。
できれば自分の性格におおよそ適合していて、やりがいがあって楽しく、得意な能力を活かせる職業・職場を選択することが叶えば幸運ではあります。
実際、「PTに適した性格傾向」といったものは確かにあります。それについてもおいおい述べていきたいと思います。
ただ、就職希望者が100万人いるとして、それぞれの希望者にピッタリ適した職種が100万通りあるわけでもありません。
「自分に向いているかどうか」も大切な要素ですが、
「その職業に自分を合わせていく」ための地道なスキルアップ
こそが、医療従事者には求められます。
そういう意味では、職業選択の際の動機が最も重要なのではなく、PTという職業へ向けて新たな船出をした時、すなわち養成校に入学してからが大切なのだと思います。
どのような動機でエントリーするにせよ、自分のできる範囲で少しでも他者の役に立つこと、すなわち理学療法を通じて社会に対し何らかの貢献ができれば、それで立派な「社会人」と呼べるのですから。
そもそも「職業とは誰のためにあり、人は何のために働くのか」ということも含め、今後の当シリーズのなかで掘り下げていこうと考えています。
そういった原理原則を深く考察することは、医療従事者だけでなく全ての職業人にとって大変重要なことです。
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