いよいよ2021年度に入りましたね。
コロナ禍を乗り越えて無事PT免許を取得し、病院・施設等へ入職された方々に心からお祝い申し上げます。
4/1の勤務では新入職員研修のお手伝いをさせて頂きながら、私自身も新卒の頃を昨日のことのように回想していました。
今回は、私のPT遍歴を5期に分けて振り返りたいと思います。
拙い内容で申し訳ございませんが、新卒の方々やこれからPTをめざす学生さんにとって、今後の方向性を模索する上で何かの参考になれば幸いです。
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1.第1期(新卒~5年目)
最初に就職したのは、学生時代に見学実習(1週間)で行ったことのある病院。
養成校の推薦もあり、すんなり採用が決まりました。
入職したての頃は、
◆1日のスケジュールを把握する。
◆スタッフの顔と名前を覚える。
◆施設・設備を把握し、備品の扱いに慣れる。
PTとしての技能もさることながら、上記のような「場の雰囲気になじむ」ための要素を早く身につけることが第一です。
実習病院を就職先に選ぶことは、そういう意味では有利と言えるでしょう。
ただ残念なことに、この職場の科長(直属の上司。一般企業の「課長」に相当)は、いまの基準ではパワハラ体質。
サービス残業は当たり前。有給休暇を取るのもひと苦労でした。
この時代のことは過去記事でも少し触れています。
実習でお世話になったとは言え、期間はたったの1週間。上司・先輩の人となりは実際に就職してみないと分からないものですね。
それでもこの上司から受けた仕打ちは、のちに自分が科長の立場になった時に、反面教師として大いに役に立ちました。
2.第2期(6~10年目)
6年目から職場が変わりました。
中規模の病院で老健も併設しているなどの条件は最初の職場とほぼ同様。
ここまでの通算10年で、急性期医療から介護保険サービスまで幅広く経験できたのは、私にとって幸いでした。
この時代の出来事もいくつかの過去記事で述べていますが、ここで私が学んだのは中堅PTに求められる役割です。
私はそれまで「生涯いちPT」でよいと思っていました。
PTを志したきっかけは、自身の高校~大学時代の闘病生活。
「自分も医療従事者になって、目の前の患者さんを幸せにしたい」という思いが私の原点です。
けれども、6年目ともなれば周囲からは一人前のPTと見なされ、後輩への助言・指導など教育者としてのリーダーシップも求められます。
また、他職種と連携する業務ではコーディネーター(調整役)としての役割も果たさなければなりません。
職員教育や他職種との関わりを通じて、私はリハビリテーション科の組織運営のあり方を真剣に考えるようになりました。
そして、「良質な医療を提供したければ、まず職場環境を良くしなければならない」ということに思い至ります。
スタッフが働きやすい環境を作るには、さまざまな提言をしなくてはなりません。
しかしある時、どんなに優れた意見を述べても、いちPTの考えは採用されないケースが多々あることに気づきます。
やはり、権力は時として必要なのです。
私はそれまで考えもしなかった「出世」を志向するようになりましたが、この職場にはすでに叩き上げの科長・主任がおり、それを越える抜擢は望めませんでした。
3.第3期(11~13年目)
出世を求めて転職するという荒技(?)に出た私。
ここで初めて「病院リハ科の科長補佐、および通所リハの部門長」という役職を得ました。
この病院では私が入職する1年ほど前に通所リハ部門が増設されたのですが、それは事務長の独断で進めた事業であり、現場のPT・OTたちは開設に猛反対したという経緯がありました。
そのため私が管理者になった当初は、必要不可欠な書類の一部(療法士の責任で作成すべきもの)がほとんど作られておらず、介護報酬の規定通りにサービスが提供されていないなど、全くの無法地帯でした。
いくら開設に反対って言っても、これは無いでしょ💧
医療従事者の常識は、世間の非常識。
組織の論理が理解できない非協力的なスタッフに閉口することも多かったものですが、彼らの側に立てば、反対するだけの正当な理由があったのでしょう。
私は外様だったこともあり、部下の気持ちを親身になって汲み取れていなかったのかも知れません。
組織運営や上下関係の難しさをイヤと言うほど学んだ3年でしたが、時には正月休みも返上して働きに働き続け、どうにか通所部門を軌道に乗せることができました。
そして、この職場でじたばた奮闘している私に目をかけて下さったのが、次に入職することになる病院の事務長S氏と、診療支援部(療法士・薬剤師・臨床検査技師などのコメディカルを統括する部門)の部長N氏です。
4.第4期(14~20年目)
またも中小規模の病院へ転職。
私はついにリハビリテーション科の科長になりました。
まぁカッコ良く言えば「引き抜かれた」ということになるのでしょうが、そうでもありません。
S事務長は、私の入職後1年も経たずに病院経営者から陰湿なイジメを受け退職。
N部長も、やがて去って行きました。
いきなり波乱の様相です💦
入職当初のN部長の命により、私はPT業務(患者さんのリハビリ支援)がほぼ無くなり、病院全体に関わる委員会業務(医療安全・感染対策 etc.)や診療支援部門の取りまとめ、自部署の運営などの管理業務がメインになりました。
前の職場ではPT業務と自部署運営を平行する「プレーイングマネージャー」だったので、仕事の内容は大きく変わりました。
この職場でも、「自分の立場さえ守れたらよい」「自部署が割りを食わなければよい」という風潮が各部門のリーダーやスタッフの間に蔓延していました。
部署間の足の引っ張り合いなど当たり前。医師はワガママの仕放題です。
◆医療機関とは、患者さんのためにあるもの。
◆質の高い医療を提供するためには、スタッフが働きやすい環境をつくること。
私は、病院経営者や医師・各部門長はこの2つを常に意識し行動するものだと思っていましたが、現実は皆が正しい方向へ向くわけでもないようです。
白い巨塔・ショボい版。
ま、大小あらゆる病院に言えることかも知れませんが…(~_~;)
そんな状況でも私は新しい仕事にやり甲斐を持って取り組んでいましたが、他部門絡みの業務の中では、病院経営者と意見を交わす場面も出てきます。
患者さんとスタッフありきの持論を曲げない私は経営者から煙たがられ、あからさまな嫌がらせを受けることになります。
俺の周りにはイエスマンしかいらない。ワンマン経営者の典型です。
このまま自分がここにいたら、周りに迷惑が掛かる…。
私だけがイジメられるのなら我慢できますが、リハビリ対象患者さんやスタッフにとって明らかに不利益な裁定を下されるケースもあり、ついに退職を決断しました。
最終的には負け犬になった格好ですが、管理職として過ごした10年間は自分なりに信念をもって精一杯やってきました。
反省することも沢山ありますが、やりきった感もあります。
5.第5期(21年目~現在)
23年目の現在は非正規の「いちPT」に戻り、老健と特養でリハビリ業務を行っています。
この数年で収入は激減し、夫婦2人で慎ましく暮らすのが精一杯ですが、それほど不満はありません。
管理職になれば、職場を自分の意思で変えられる。
職場が良くなれば、より多くの患者さんを幸せにできる✨
出世を望んでいた頃は、このように思っていました。
これはこれで正しいのでしょうけど、一方、人が一生の間に幸せに出来る相手なんてそう多くはありません。
私のような凡人なら尚更でしょう。
これからは高齢の利用者さんやスタッフの方々、妻や友人と笑顔で過ごす日々を大切にしていきたいと思います。
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6.さいごに
心ならずも管理職だった頃のネガティブな話が多くなってしまいました😅
いち医療専門職として技能をとことん極めるのが良いのか、それとも上昇志向(出世欲)を持つべきなのかといった問いに対しては、明確な解答はありません。
人それぞれ、得手不得手もあるでしょう。
私は最後には挫折したものの、管理職としての経験は得がたいものであり、やってて良かったとハッキリ言えます。
昨今の政治、コロナ禍、東京五輪の問題などで繰り広げられる足の引っ張り合いを見ていても、それが人間というものの本質なのだと今は理解できるようになりました。
理解できてこそ、ドロドロした人間関係の中で「戦わずして勝つ(またはスルーする)」という戦術も見いだせるのではないかと思います。
若手のPTの方々も同じです。
役職の有無にかかわらず、協調性やリーダーシップが求められる局面は必然的に出てくるものです。
そんな時、自分の正義が相手にとっての正義と合致するとは限らないことが分かれば、折り合いがつけられるでしょう。
自分の信念はしっかり持ちつつ、相手に押しつけない。
相手の立場になびかないが、考えは理解する。
世知辛い医療・介護の世界で比較的立場の弱いPTが生き延びる上では、大切な処世術ではないかと考えます。
ま、途中で挫折した私が言ってもあんまり説得力が無いですねぇ💧
枯れてしまったアラフィフPTの説教、長々と申し訳ございませんでした。
新人PTの皆さま、これから始まる長い道のりを、焦らず一歩ずつ歩んでいって下さいね。
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