日本では『国民皆保険制度』を運用しています。
これによって、病気や怪我など万が一のときには国民の誰もが全国の医療機関で「平等に」医療を受けることができるとされます。
皆保険を維持するための財源として、保険料とともに公費(税金)が投入されています。
《スポンサーリンク》
1.国民皆保険制度の趣旨
※参考資料:我が国の医療保険について - 厚生労働省
医療保険は国民の皆さまの保険料や税金で運用されています。
そして、国が定める診療報酬制度によって同じ診療行為には同じ保険点数が適用されるため、「全国どこでも平等な医療が受けられる」という理屈になります。
厚労省ホームページによれば、日本の国民皆保険制度の特徴(利点)として以下の4点を挙げています。
①国民全員を公的医療保険で保障。
②医療機関を自由に選べる(フリーアクセス)。
③安い医療費で高度な医療。
④社会保険方式を基本としつつ、皆保険を維持するため公費を投入。
国家資格を有する私たちPT(および病院経営者・その他医療従事者全般)は、まずは上記のことを胸に刻み込んでおく必要があります。
2.「高度な医療」とは?
では、PTにおける「高度な医療」とは、どのようなものを指しているのでしょうか?
PTが用いる技術として、例えば以下のような手法があります。
◆PNF(Proprioceptive Neuromuscular Facilitation:固有受容性神経筋促通法)
◆AKA-博田法(Arthro Kinematic Approach:関節運動学的アプローチ)
PNFはアメリカ発祥ですが、その理論を応用した「初動負荷トレーニング」の方が国内では有名かも知れません。イチロー選手なども行っていた、いわば筋力トレーニングの一種です。
AKA-博田法は関西圏の古参PTにはお馴染みですが、最近ではテレビ等のメディアで紹介され、整骨院(柔道整復師)でも使われる手技のひとつです。関節可動域運動の一種とみてよいでしょう。
これらは私自身も学びましたが、習得は極めて難しいものであり、すべてのPTが使いこなせるわけではありません。
色々なご意見があるかと存じますが、上記のような特殊手技が、厚労省の言う「フリーアクセスできる安価で高度な医療」ではないと私は考えています。
なぜなら、近所の医療機関にたまたまPNFやAKAの使い手がいるとか、財力と時間を駆使して「病院めぐり」ができる恵まれた人でなければ、その恩恵を受けられないからです。
3.標準的な医療を提供するための努力を
私の考える高度なリハビリテーション医療とは、以下のようなものです。
①標準的な評価手法(医師で言うところの「診断法」)が定まっている。
②治療(リハビリ)方法は科学的根拠に基づいている。
③どのレベルのPTが行っても一定の効果が期待できる。
誤解の無いように申し上げますが、私はPNFやAKAを否定しているわけではありません。
私の経験上、ほとんどの患者さんには古典的な運動療法やADL練習で対応できますが、アプローチの引き出しはたくさん持っていればそれに越したことはありませんから。
ただし、先人の知恵に基づくオーソドックスな手法すら身についていないのに、特殊な手技に走るのは良くないと思います。
第一、リハビリテーション医療では「患者さんの潜在能力を引き出せるように支援する」のが医療従事者の真の役割であり、受動的な手技の多用は自立心を損なうことにもなりかねません。
潜在能力を発揮して頂くには、治療手技そのものよりも、対象者の課題を分析する「評価力」の方が重要となります。
当ブログの『理学療法きほんのき』シリーズで 理学療法プロセス の話から始めたのも、そのような意図によるものです。
個々のPTもそうですが、職能団体(日本理学療法士協会)としても、理学療法の知識・技術を標準化し、再現性のあるものにするよう切磋琢磨していくことが求められるのではないでしょうか。
また日本の医療界全体としても、
◆機会の平等(どこでも標準的な医療が受けられる)
◆結果の平等(一定の治療効果・満足感が得られる)
この2つのバランスを高いレベルで取るよう努力すべきだと思います。
《スポンサーリンク》
4.さいごに
余談になりますが、コロナ禍の現在、一部の急性期病院に多大な負担が掛かる一方、多くの民間病院はまだまだコロナ患者の受入れに消極的です。
これに関しては、民間病院を擁護する論調(赤字経営でやむを得ない、施設・設備・人員的に困難、風評被害の懸念など)も根強いようです。
「医療従事者は頑張っている。政治家が無能なのだ」といった批判もよく耳にします。
しかし私は一般の方々や評論家がこのような批評をするならともかく、医療者が政治・行政に責任転嫁するのは間違っていると思います。
たとえ民間病院でも、国民皆保険制度に基づき診療報酬を得ているのなら公益性があります。
コロナを怖れて受入れ拒否など、火事を消さない消防署のようなものです。
突き詰めると、現憲法・法規を改正しない限り、政治・行政サイドは民間病院にコロナ患者を受入れるよう強制することはできません。
どうあがいても、現状では「お願い」ベースなのです。
ならば、まず病院側から進んで手を挙げなくてはなりません。
重症者の多くは公的病院の急性期病床に任せるとしても、軽~中等症なら民間でも受入れを増やす余裕はまだあります(私は民間病院に長く勤めていたので内情が分かります)。
政治・行政側はそれに呼応して、「志ある(まともな)病院を絶対に潰さない」という姿勢を明確にし、支援を惜しまない。それが本来のあり方ではないでしょうか。
ましてや 「1床確保したら1千万円出します」 なんて言われてから増床するなんて、医療者として恥ずべきことです。
「新型コロナはただの風邪」とまでは言いませんが、市中感染する普通の病気です。
病院が玄関先で患者さんをシャットアウトしたり、まず保健所に電話せよというのは客観的に考えておかし過ぎます。
国民は一体何のために高い保険料や税金を払っているのでしょうか?
フリーアクセスでき、標準的な医療を平等に受けられるはずではなかったのですか?
コロナ受入れに消極的な医療者・職能団体の方々は、国民皆保険制度における医療機関の役割をよく考えて欲しいです。
最後までご覧下さいましてありがとうございました m(_ _)m
《スポンサーリンク》