今回は職業選択の原理原則に戻り、まず「職業とは誰のためにあり、人は何のために働くのか」という当たり前のことを考察していきます。
それは社会の中での理学療法士(以下PT)の役割を認識する上でも大切なことであると思います。
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1.社会的動物の行動様式
社会集団を形成する典型的な生物として、アリとかハチといった「社会性昆虫」が挙げられます。
アリ社会では、集団の中での階層と役割分担が明確に存在します。
◆兵隊として、外敵と闘い巣を守る個体。
◆巣から出て、食糧を探し集める個体。
◆女王アリの世話や、幼虫を保育する個体。
◆生殖をおこなう個体(女王アリ・雄アリ)。
アリは1匹1匹をみると、か弱く、その個体のみでは生きていけません。
しかし、巨大な巣(人間でいえば会社とか自治体・国家など)という組織化された集団を形成することで、持続的に社会生活を営むことが可能となります。
防衛・食糧探し・保育を担当するもの(いわゆる働きアリ)は、基本的に生殖能力のない雌アリです。
兵隊アリは、時には自らの命を犠牲にしても外敵と闘って巣を守ろうとします。
自身では子供が作れなくても、巣を防衛することで女王アリを守ることができ、ひいては自分たちの遺伝子を確実に後世へ伝えていけるからです。
2.社会的役割としての職業
アリの社会形態は遺伝情報に支配された本能的な行動様式で成り立っていますが、人間のように大脳支配の強い動物であっても、基本は同じようなものだと私は考えます。
違いとしては、人間社会では役割分担がより複雑化しており、一人で多くの役割を兼任するとか、役割そのものが一変する場合もある、ということぐらいでしょうか(アリの場合でも状況によって働きアリが生殖能力を獲得するなどの変化が生じます)。
前回のブログで、「一般企業に勤めていたが、自分の仕事が社会に貢献しているという実感がなかった。それに対して、PTはやりがいのある良い仕事だと感じた」といって志望する人がいることを書きました。
このような理由を述べる人が、かつてどのような仕事をしていたのかは詳細には分かりません。
しかし基本的には、反社会的な業種でない限り、それぞれの仕事には何か社会的なニーズ(必要性)があるからこそ成り立っているのだと思います。
そうでなければ、そこに給料が発生することは通常あり得ないからです。
ニーズの無い商売で食っていけるほど、この世の中は甘くないはずです。
しかし、この私の見解については反論もあるかも知れません。
「自分が売っていたものは型落ちの製品で、それを言いくるめて顧客に高値で買わせるようなことを会社から求められた」などという言い分を聞いたこともあります。
また、「自分は一生懸命働いて業績を伸ばしていたが、会社からは全く評価されなかった。一方、自分よりも仕事ができない人が評価され昇進していった。それで意欲を無くした」といったことも枚挙にいとまがありません。
そのような個々のケースに対し、そこに社会的意義があるのか無いのかをすべて明らかにするのは非常に難しいことではあります。
アリのような合理的な社会集団においても、一見すると「サボってるんじゃないの?」と思うような「怠けアリ」が、2割くらい存在するようです。
そのような存在が、アリの社会の中でどのような役割を持っているのかはまだ明確ではないようですが、その2割を除去したとしても、残りの集団から新たに2割の怠けアリが発生するとのことですから、あながち全く無駄な存在ではないのかも知れません。
これは人間社会においても同様で、組織や社会にとって無駄と思えるような人材とか業種は統計的に一定の割合で存在し、それが本当に無駄かどうかは、この超複雑な社会構造の中では明確に言えないのではないかと思います。
そもそも、
◆自分の仕事が社会に貢献しているかしていないか
(社会的意義があるかどうか)
ということと、
◆社会に貢献しているという「実感」があるか無いか
(自分自身が満足できるかどうか)
ということは、職業選択の2大要素であるとは言えるでしょうが、内容的にはまったく別のものであり、自分の中でちゃんと整理しておいたほうが良いのではないかと私は考えています。
それはともかく、自衛隊や消防・警察など国民の安全を守るもの、生活に必要な物を作る製造業、金融や物流・医療などのサービス産業…これら多くの職業は社会の要請に応じて存在するものであり、それぞれが役割を分担しながら、時には自己犠牲も厭わず、お互いに支え合って生きるのが社会的動物としての人間の特徴です。
集団主義的というご批判はあるでしょうが、どんな職業を選んでも「社会に貢献する」のがまず第一義であり、その結果として給料がもらえて衣食住が賄えるし、税金収入によって各種インフラや医療・介護が利用でき、国民の安全が保障され、子供に教育を受けさせることができる…ひいては自己実現・自己満足にもつながるのではないでしょうか。
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3.あなたは誰のために仕事をしますか?
仕事を「自分のため」にするのは、それはそれで大切ですし、誰しも「なりたい自分になる」のが一番幸せなことです。
やりたくもないことを嫌々やっていても、本当に他者のためになるかどうかは怪しいです。
自分がただひたすら「楽しい」「好きだ」と思える仕事をやっていたら結果的に他者のためになり、社会にも貢献できた…となれば、それが一番理想なのでしょう。
ただ私は、自己実現とはそれ自体が第一の目的ではなく、巡り巡って結果として自分のためになるのだと思います。
他者のために仕事をするのは「楽」ではなく、また「楽しい」ことばかりでもありません。
お笑い芸人も、お客さんを笑わせるためには陰で血のにじむような努力をされていることでしょう。
同様に、医療従事者も患者さんを笑顔にするためには相当な汗と涙を流さなくてはなりません。
頑張った結果として患者さんが少しでも幸せになれば、辛くてもそれなりに充実感はあるでしょうし、それを「楽しい」と感じられるようになれば、最終的にはお互い幸せになれるのでしょう。
ちなみに私自身はPT歴20年にして、まだそこまでの境地には至っていないような気がします。
ただひとつ言えることは、人は「自分のため」にできる努力には限りがありますが、「他者のため」とか、「守るべき人」がいる場合には信じられないほどのパワーが出るものですし、少々の困難があってもそう簡単にはあきらめないものです。
人は何のために、誰のために働くのか…。
新卒の方も社会人経験者の方も、今一度、深く考えてみたいものです。
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