入院して1ヶ月ほど経ったころ、肝機能が少し落ちついてきたこともあり、私は高校へ通学することが許されました。
最初は午前中の半日だけ通学し、授業が終わったらまた病院へ戻り治療を受ける…といった毎日でした。
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1.授業についていけない
通学を再開して、まず困ったのは「まったく授業についていけない」ことでした。
休学中は、仲の良い同級生からノートをコピーしてもらって定期的に受け取るなどしていましたが、正直言ってほとんど目を通していませんでした。
もともと私は、高校進学後はつねに落ちこぼれ寸前の学業成績をキープしていました。
「病気のせいで将来働けなくなるかもしれない」などということは当初考えてもみませんでしたから、もちろん大学進学などまったく眼中になく、高校卒業後は普通に就職する気でいたのです。
想定外の病気療養ということになったわけですが、だからといって「勉強して賢くならなきゃ」と、すぐに発想を転換することもできず、むしろ入院したことで自暴自棄になり、ますます学業に身が入らなくなってしまったのでした。
2.教師からの痛烈な言葉
せっかく学校に通えるまで回復したにもかかわらず、授業はチンプンカンプンで、まったくついていけません。
国語(古文)の授業中、暗澹たる気持ちでひとり窓の外をぼんやりと眺めていた時のことです。
女性教師がそんな私に対し、
「あなた、何ボーッとしてるの? 入院してるからといって特別扱いはしないよ!」
と、胸に突き刺さる言葉を浴びせてきました。
当時の私は、自分が特別に扱ってもらえるとは考えていなかったつもりですし、最終的には期末試験で及第点を取らなくてはならないこと、あとは出席日数が足りるかどうか…それがすべてでした。
ですので、「特別扱いしてくれなんて誰も言ってないし…どうしてほかのみんなが見ている所で恥をかかせるのか?」と、少し腹立たしくもあり、また悲しい気持ちになったことは確かです。
体育の授業でも同じようなことがありました。
もちろん運動はドクターストップがかかっていたので、いつも見学だったのですが、「ボーッと見てるだけでは暇だろうし、出席扱いにできない」として、バレーボールの審判だとか、野球のスコアの記載、競技のルール等に関するレポートの提出などを求められました。
審判はそれなりに身体も動かさなくてはならず、スコアの記載だけでも意外と気をつかうものです。
しかし私は見た目「病気療養中の患者」のようには見えず、もちろん普通に歩いたりしていたので、それくらいはさせても良いだろうと思われたのでしょう。
実際まだ入院中の身である私には少し重荷でしたが、自身の身体の状態を説明した上でキッパリと断る勇気もなく、けだるさを感じながらも自分のペースで(ダラダラと)行っていました。
すると、男性の体育教師から
「何だおまえ、やる気あるのか? そんなんで出席扱いにできると思ってるのか?」
と叱られてしまいました。
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3.自業自得
今これらのことを振り返ってみると、ある意味、自業自得という面もありました。
国語の授業中のことでいえば、休学中に友達から受け取ったノートでしっかりと予習・復習した上で授業に臨むことはできたはずです。授業に集中せずボーッと外を眺めていたら、教師の逆鱗に触れるのも致し方ありません。
体育に関しても、レポートの提出期限を守れなかったりするなど、私の「自棄的」な態度がその教師の癇に障ったのかもしれません。
身体状況に対して配慮に欠ける扱いについては、もう少しきちんと現状を説明すれば、理解を得られたのではないかと思われます。
しかし、当時の私は自身の努力不足や説明不足などを棚にあげて、自分の境遇をただ悲観したり、他者に責任転嫁したりするなど、マイナス思考になりがちでした。
心のどこかで「自分は病気なのだから、特別扱いしてもらえるはず…」といった甘えもあったのでしょう。
あとになって、そのことに気づいたのは幸いでした。
そして、心ない(と当時思われた)教師からの叱責は、のちに私の反骨精神を奮い立たせるきっかけになりました。
また、病気という「からだ」の変調はときに「こころ」までも壊してしまうこと、そういう人の気持ちを推し測り、思いやることがいかに大切かということも学んだのです。
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