心無い偏見を向けてくる人がいる一方、私の将来を案じて叱咤激励し、人生の針路を照らし出して下さった方々がいました。
病気とのかかわりの中で出会った恩師からの「金言」は、その後の運命を大きく変えるきっかけとなります。
《スポンサーリンク》
1.「かならず治る。まずは大学へ行け」
せっかく通学できるようになっても授業についていけず、情けない気持ちで点滴を受けながら、病棟の談話室でボンヤリ座っていた時のことです。
「どうだ、調子は。勉強がんばってるか?」
気さくに話しかけてきたのは、いつも穏やかな笑みをうかべている院長先生(小児科医)でした。
この院長先生は、私の妹(小児ぜんそく)の主治医でもありました。
そして私自身の主治医は、院長先生の部下だったわけです。そういうつながりも、私が高校2年でありながら小児病棟に入院した理由のひとつでした。
私の顔を見ると、院長先生はいつも判で押したように同じことを言うのでした。
「あんたの病気はかならず治る。ただ、今すぐに良くなるともいえない。身体的ハンデがある以上、普通の人と同じようには働けないかもしれない。だったらもっと勉強して賢くなりなさい。そして大学へ行きなさい」
「文系の学部なら体力的にそれほど辛くない。4年間大学へ行きながら治療に専念すれば、卒業する頃には良くなる。そのあとは就職するなり、また別の進路を考え直すのもいい」
そうは言っても、私は落ちこぼれです。
「僕は頭わるいからダメです…。とくに英語が大の苦手なので、文系の大学でも絶対無理です」
すると院長先生はニコニコ笑いながら、
「あんた、いつも本を読んどるな。国語は得意だろ」
確かに私は子どもの頃から読書好きで、国語だけは唯一、苦手ではありませんでした(とは言え、古文・漢文は全然ダメでしたが…)。
「国語ができて英語ができないということはありえない。苦手というのはあんたの思い込みで、ただ英語の原理原則を忘れてしまっているだけだ。中学1年の英語の問題集を買ってきて、何回も何回も解きなさい、100点取れるまで。まずは基礎からはじめることだ」
《スポンサーリンク》
2.高校卒業、そして一浪生活へ
最初の入院は7か月半。2回目は1か月半におよび、退院した時は高校3年の後半に差し掛かっていました。
院長先生からのせっかくの助言もまったく実行できなかった私は、最終的にはギリギリの成績で何とか高校を卒業したものの、現役での大学受験には当然のことながら失敗しました。
もちろん、卒業の時点で肝炎はまだ治っていません。
ここに至って、高校入学時は想定すらしなかった「浪人して予備校へ通い、大学をめざす」という方向性を受け入れるしかない状況に陥ってしまったのです。
高校卒業後の進路については、院長先生だけでなく、両親や担任の教師からも同様のアドバイスを受けました。
高校3年時の担任の先生は、ご自身が高校生の時に腎臓疾患で療養生活を送り、それがきっかけで大学へ行き、教師を志したという経歴の方でした。
「体が弱いのなら、頭脳でそれを補うこと。まずは学歴を身につけることだ」
「国語ができる人は英語もできる。君はかならずできる」
まるで申し合わせたかのように、院長先生と同じことをおっしゃるのです。
浪人することを院長先生に報告すると、
「僕だってね、一浪したんだよ。大丈夫、あんたならきっとやれる」
それも、いつもの決まり文句でした。
しかし院長先生は一浪したといっても「東大医学部合格」という超エリートです。
私とはまったく比較になりません。
《スポンサーリンク》