すなおのひろば

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◆うむむ、貴景勝が再休場…。内側側副靱帯だけなら、じっくり治せば大丈夫です。焦らないように!(5/21)

【自身の病気とのかかわり:その6】院長先生から「勉強のしかた」を教わる

f:id:sunao-hiroba:20181026151333p:plain心無い偏見を向けてくる人がいる一方、私の将来を案じて叱咤激励し、人生の針路を照らし出して下さった方々がいました。

病気とのかかわりの中で出会った恩師からの「金言」は、その後の運命を大きく変えるきっかけとなります。

 

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1.「かならず治る。まずは大学へ行け」

せっかく通学できるようになっても授業についていけず、情けない気持ちで点滴を受けながら、病棟の談話室でボンヤリ座っていた時のことです。

「どうだ、調子は。勉強がんばってるか?」

気さくに話しかけてきたのは、いつも穏やかな笑みをうかべている院長先生(小児科医)でした。

f:id:sunao-hiroba:20181026140950p:plainこの院長先生は、私の妹(小児ぜんそく)の主治医でもありました。

そして私自身の主治医は、院長先生の部下だったわけです。そういうつながりも、私が高校2年でありながら小児病棟に入院した理由のひとつでした。


私の顔を見ると、院長先生はいつも判で押したように同じことを言うのでした。

「あんたの病気はかならず治る。ただ、今すぐに良くなるともいえない。身体的ハンデがある以上、普通の人と同じようには働けないかもしれない。だったらもっと勉強して賢くなりなさい。そして大学へ行きなさい」

「文系の学部なら体力的にそれほど辛くない。4年間大学へ行きながら治療に専念すれば、卒業する頃には良くなる。そのあとは就職するなり、また別の進路を考え直すのもいい」


f:id:sunao-hiroba:20181026143746j:plainそうは言っても、私は落ちこぼれです。

「僕は頭わるいからダメです…。とくに英語が大の苦手なので、文系の大学でも絶対無理です」


すると院長先生はニコニコ笑いながら、

「あんた、いつも本を読んどるな。国語は得意だろ」


確かに私は子どもの頃から読書好きで、国語だけは唯一、苦手ではありませんでした(とは言え、古文・漢文は全然ダメでしたが…)。

「国語ができて英語ができないということはありえない。苦手というのはあんたの思い込みで、ただ英語の原理原則を忘れてしまっているだけだ。中学1年の英語の問題集を買ってきて、何回も何回も解きなさい、100点取れるまで。まずは基礎からはじめることだ」

 

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2.高校卒業、そして一浪生活へ

最初の入院は7か月半。2回目は1か月半におよび、退院した時は高校3年の後半に差し掛かっていました。

f:id:sunao-hiroba:20181026144019j:plain院長先生からのせっかくの助言もまったく実行できなかった私は、最終的にはギリギリの成績で何とか高校を卒業したものの、現役での大学受験には当然のことながら失敗しました。

もちろん、卒業の時点で肝炎はまだ治っていません。

ここに至って、高校入学時は想定すらしなかった「浪人して予備校へ通い、大学をめざす」という方向性を受け入れるしかない状況に陥ってしまったのです。


f:id:sunao-hiroba:20181026141800p:plain

高校卒業後の進路については、院長先生だけでなく、両親や担任の教師からも同様のアドバイスを受けました。

高校3年時の担任の先生は、ご自身が高校生の時に腎臓疾患で療養生活を送り、それがきっかけで大学へ行き、教師を志したという経歴の方でした。

「体が弱いのなら、頭脳でそれを補うこと。まずは学歴を身につけることだ」

「国語ができる人は英語もできる。君はかならずできる」


まるで申し合わせたかのように、院長先生と同じことをおっしゃるのです。


浪人することを院長先生に報告すると、

「僕だってね、一浪したんだよ。大丈夫、あんたならきっとやれる」


f:id:sunao-hiroba:20181026153933p:plainそれも、いつもの決まり文句でした。

しかし院長先生は一浪したといっても「東大医学部合格」という超エリートです。

私とはまったく比較になりません。

 

 

www.sunao-hiroba.com

 

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