すなおのひろば

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【大相撲の魅力:その5】禁じ手について…②『張り手』の是非を問う

f:id:sunao-hiroba:20190427125057p:plain大相撲における『張り手』は、今日に至るまでさまざまな形で是非を問われてきました。

論点としては、以下の2つに大別されます。

◆そもそも『張り手』を相撲の技として許容すべきか?
横綱が『張り手』を使うのは品格に欠けるのではないか?

今回は、現時点で相撲技として認められている『張り手』について、前回述べた8つの反則規定も踏まえ、できるだけ客観的に論じてみたいと思います。

 

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※当記事の作成にあたり、下記のウェブページを参考にさせて頂きました。

◆日本相撲協会公式サイト

ハッキヨイ!せきトリくん > おしえて八十二手 > 禁じ手反則

 


 

1.『張り手』は相撲の技として許容すべきか?

まずは、『張り手』を技のひとつとして認めるかどうかについての私見を述べたいと思います。

大関・前田山の「張り手旋風」

張り手の是非論が起こるたびに思い出すのは(と言っても、私が生まれる遙か昔の話ですが…)、1941(昭和16)年1月場所の「張り手旋風」です。

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気合い相撲の前田山は、張り手を交えた突っ張りを得意とする大関(のちに横綱へ昇進)でした。

※画像引用元:前田山英五郎 - Wikipedia

 

特にこの場所では「張って張って張りまくる」という暴れっぷり。
12日目、横綱羽黒山(はぐろやま)に対しても張り手を見舞って勝利しています。

一方的に敗れた羽黒山は新聞記者に対して「あんなのは相撲じゃない!」と憤慨の弁を述べ、新聞各社はこぞって「格上の横綱に対して不敬である」と、前田山の張り手を非難しました。

そして迎えた翌13日目、相手は天下の名横綱双葉山(ふたばやま)戦です。

当時、双葉山はすでに神格化されるほどの大横綱でしたから、さすがに前田山といえども張り手は無いだろうと見られていました。

ところが…

◆1941(昭和16)年春場所:前田山(まえだやま)vs. 双葉山(ふたばやま)


Maedayama vs. Futabayama : Haru 1941 (前田山 対 双葉山)


前日よりもさらに激しい張り手が双葉山の顔面に炸裂します。
何とか組み止めるも、うっちゃり気味の吊り出しで前田山が見事に勝ちました。


取組終了後、新聞記者は双葉山を取り囲み、張り手についての感想を求めました。

すると一言、

「張り手も相撲の手のひとつだよ」

双葉山は、前田山を一切非難しなかったのです。

これは双葉山に関する数多くの逸話の中で、私が特に感銘を受けたエピソードのひとつです。

②荒々しさの無い大相撲は、プロの格闘技とは呼べない

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根本的に、「張り手自体を禁じ手とすべし」という意見も根強くあるようです(実際、学生・アマチュア相撲では反則です)。

しかし、大相撲は「鍛え抜かれた力士が体重差に関係なく素手でぶつかり合う格闘技」です。

マチュアならともかく、相撲は元来荒々しいものであり、それが無ければ大相撲ではないというのが私の見方です。

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多くの格闘技やモータースポーツなども同様ですが、ある種のスリルがあるからこそ客は楽しんで観戦するのではないでしょうか。


そもそも、相撲では立合いに頭と頭が激しくぶつかり合うことも頻繁にあります。

立合いの頭突きのことを「ぶちかまし」といいますが、これが一般人なら頭蓋骨が陥没し、脳挫傷を引き起こすこともあるでしょう。

しかしだからと言って「ぶちかまし」を禁じ手にしたら、最大の醍醐味である「立合い」が成り立たず、相撲という競技そのものの否定になってしまいます。

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握りこぶしで殴るわけではありませんし、ましてや「ぶちかまし」で頭蓋骨が割れないほど力士の身体は頑丈です。

張り手ぐらい、鍛え抜かれたプロの力士なら頑張って耐えて欲しいというのが私の意見ですが、ちょっと残酷過ぎるでしょうか…?

③張り手のスキを突いて欲しい

舞の海氏(元小結・相撲解説者)や鎌苅氏(元関脇・貴闘力)も述べていましたが、張り手を出す際には当然ながら顔面を狙うため、上体が浮いて重心が高くなりやすく、ワキも開いてしまいます。

張り手は、相手につけ入るスキを与える「諸刃の剣」なのです

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相手が無造作に張り手を繰り出すなら、それをチャンスと捉えてふところに飛び込むのも相撲の技術のひとつではないでしょうか。

④顔面への張り手は容認、しかし耳狙いはダメ

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では、全く無条件で張り手を容認しても良いのでしょうか?

人はときにリスクを求めるものであり、それが他者の行うこととなると、古代ローマグラディエーター(剣闘士)を楽しむ観客のように、いくらでも残酷になり得ます。

しかし、先に述べたモータースポーツやボクシングにおいても、未だ死亡事故は絶えないものの、安全面の確保については以前よりもしっかり取り組まれているようです。

スリルを楽しむとは言っても、闘う当事者にとっては引退してからの人生の方が長いでしょうし、無用なリスクは避けるべきです。


前回の記事でも述べたように、「両耳を同時に両方の掌で張る」のは正式な禁じ手とされますが、「片手で耳を張る」ことについては何も明記されていません。

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鼓膜や耳小骨・三半規管などは、稽古で鍛えることのできない重要器官であり、損傷すると障害が残る可能性もあります(鼓膜は皮膚と同様、再生するのですが)。

※私自身、中学生の頃に無実の罪(?)で教師に往復ビンタされ、しばらく耳が聞こえにくくなったことがあります。今なら体罰ということで大問題でしょうね…。

そういうわけで、私からの提案です。

「張り手自体はOKだが、耳を張るのは反則」

としてはどうでしょうか?

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そうは言っても、無造作に腕を振り回せば間違って耳に当たってしまいそうなものですが、「故意であるか否か」に関わらず、耳に当たれば即反則負けというルールにすれば、安易な張り手の使用に対する一定の抑止力になるのではないかと思います。

※また、かつて「テーピングをぐるぐる巻きにしてガッチリ固めた掌」で張り手を行う力士がいたのですが、このような行為も反則と明記すべきでしょう。

 

2.横綱が張り手を使うのは品格に欠けるのか?

ここでは、張り手問題でやり玉に挙げられることの多い横綱白鵬をあたかも擁護するかのような内容も一部含まれています。

なので誤解の無いように、本題に入る前に白鵬についての個人的な考えを少し述べておきます。


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「正々堂々、受けて立つ」双葉山を理想の横綱と考える私にとっては、白鵬は特別好きな力士ではありませんが、「アンチ」というわけでもありません。

※画像引用元:日本相撲協会公式サイト


幕内優勝42回(2019年4月現在)は充分敬意を払うに値する成績ですが、単に数字のみならず、相撲の取り口も本来は素晴らしいものです(近年は衰えがみられますが…)。

平成時代を代表する最強クラスの横綱であることは、まず間違いありません。

一方、最高位の力士(すなわち現役力士のリーダー)という面では、不適切な言動が多々あったことも否めないでしょう。


以下、白鵬に対する個人批判はさておき、客観的に張り手の品格問題を論じていきたいと思います。

①大相撲は「伝統文化」であり「スポーツ」でもある

横綱は、品格・力量ともに抜群であることが求められる地位です。

ゆえに、張り手は横綱として品格に欠けると批判する人は、

「大相撲は日本の伝統文化であり、横綱はその体現者である」

という意識が背景にあるのではないかと思われます。

かく言う私もその一人であり、横綱が張り手や反則まがいの肘打ち、あるいは立合いの変化などを多用すると、あまりスッキリした気分にはなれません。

逆に、もしも大相撲が「純然たるスポーツ」なのであれば、張り手も肘打ちも立合いの変化も、ルールに則って行われる限りは全く問題が無いとも言えます。

f:id:sunao-hiroba:20190427170332p:plain私自身は、どちらかと言えば感情的には少々不満を覚えつつも「禁じ手と明記されていない限りは横綱だろうと序の口力士だろうと、張り手や立合いの変化を制限することはできない。ルールの範囲内でベストを尽くすのが真の勝負師である」と考えてしまう方です。

しかし、多くの相撲ファンはそのようにドライに割り切ることなどできないでしょう。

大相撲は「日本の伝統文化」と「真剣勝負のスポーツ」両方の側面から客観的に見るべきと私は考えていますが、それを常に意識しながら観戦している人などほとんどいないでしょうから…。

そういう意味では、一般人が白鵬の張り手に対して不快感を持ち、それをSNSなどで表明したとしても、それはいち個人として普通の感覚であり、力士の人間性を侮辱するような内容でなければ「表現の自由」の範囲内として全く問題は無いだろうと思います。

横綱審議委員会白鵬の張り手を批判するおかしさ

しかし、大相撲に関して一定の権威を有する団体や権力を持った地位にある人が、ルールに基づく根拠もなく横綱の相撲の取り口について批判するのは、私はどうにも納得がいきません。

f:id:sunao-hiroba:20190427174305p:plain横綱審議委員会(以下、横審)』とは日本相撲協会の諮問機関であり、その構成員は大手マスコミのトップとか作家・弁護士のような、いわゆる「相撲に造詣が深い(?)有識者」とされています。

それが白鵬に対して直接「横綱が張り手・かち上げとはケシカラン」と注意するのですが、いったい彼らは正式に定められている8つの禁じ手や、相撲の歴史についてどれだけ勉強しているのでしょうか?

『横審』など、こういう時は日本相撲協会の隠れ蓑でしかないように思えます。

本来であればこういう事は相撲協会の理事長その他の内部理事から注意すべきでしょうが、ルール上問題が無いことは元力士の彼ら自身が一番よく分かっており、張り手を容認してきた張本人なのです。

しかし、世間の「張り手批判」を無視するわけにもいかないため、あえて横審からの注意という形で間接的に白鵬を責めているようにしか感じられないのは、うがった見方でしょうか…。

横審のバックにいる日本相撲協会は、根拠の無い理屈で横綱を責めるのが仕事ではありません。

横綱らしくない」という一般人の批評は自由ですが、相撲協会は「品格が無い」などと感情論を押し通すのではなく、まずは「伝統文化」と「スポーツ」のはざまで常に揺れ動く大相撲を守るためにも、「文化的側面」と「スポーツとしての公平性」を可能な限り両立させられるよう努力すべきです。

 

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3.禁じ手の定義・解釈を明確に!

 

①品格論では「横綱の張り手」は制限できない

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江戸時代の強豪大関雷電(らいでん)は、強すぎるがゆえに「張り手」などを禁じ手とされたという伝説が残っています。

※画像引用元:雷電爲右エ門 - Wikipedia


しかし横綱にだけ有形無形のプレッシャーを与え、実質的な「自粛」をさせるというのは、現代のスポーツとしてはフェアではありません。

第一、「横綱の張り手は品格に欠ける」などといった不公平かつ非論理的な注意を勧告しても、表面上「はいわかりました」と反省の弁を述べるだけであり、真に悔い改めようとは思えないのではないでしょうか?

実際、注意を受けた後も白鵬は張り手を使い続けているではないですか。

品格論というあいまいな道徳観と、合理性を重んずるスポーツのルールとは相容れない性質のものですから、競技団体としてはこれを混同してはいけません(明らかな侮辱行為については、どんなスポーツでもペナルティが課せられるべきですが…)。

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もし「横綱のみ張り手禁止」などと協会側が提案したならば、おそらく横綱のみならず力士会全体から反対されることでしょう。

横綱がダメというのなら、最初から全力士に張り手禁止とする方がまだスッキリします。

②ルールを整備した上で品格の教育を

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日本で生まれ育った人と比較すると(必ずしもそうではありませんが)、外国出身の力士は良く言えば合理的でハングリー、悪く言えばしたたかにルールのギリギリを突いてくる「勝利至上主義者」ですし、それは相撲をスポーツとして位置づけるならば妥当とも言えます。

ならば、可能な限り抜け道を突かれることの無いよう、ルールを整備することが先決ではないでしょうか。


張り手そのものの是非については、先に述べたように私個人としては容認派です。

スポーツとしての公平性を担保するには、全力士に対し認めるか、もしくは全力士に禁じ手とするかの二者択一でしかないと思います。

ただ容認するとしても、少なくとも「耳への打撃を禁ずる」ことを明記すべきでしょう。


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例えばF1レースなども、1970年代くらいまでは毎年多くの死者が出ていたにも関わらず「モータースポーツに危険は付き物」ということで安全性はないがしろにされてきました。

しかし、そのような考えは時代の流れとともに社会が容認しなくなりましたし、同時にドライバーからの強い要望もあり、徐々に安全対策が行われるようになりました。

大相撲も同様に、まずは反則規定を明確化し、時代の変遷に応じて適宜改定していくことが必要だと考えます。

そしてその上で、

◆「横綱の品格」とは具体的にどういうものか

をモンゴル出身の力士に対し論理的に伝える自信があるのなら、協会の幹部が率先してきちんと教育すれば良いのではないでしょうか?

それが、ひいては「伝統文化」と「スポーツ」の両立にもつながるのではないかと私は考えます。


次回は、これまた悪名高い『かち上げ(肘打ち)』の是非についてのお話しです。

 

 

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