前回に引き続き、看護学生Mさんとの交流について書き綴っていきます。
私が15時半~16時に帰院し、16時半からナースステーションで申し送りが始まるまでの1時間余り。
それが、Mさんとコミュニケーションを取れるひとときでした。
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1.文通のはじまり
とは言え、Mさんは私を個別に担当して下さっていたわけではありませんし、何より実習中の身です。
患者さんとのコミュニケーションも実習目的のひとつではあるでしょうが、度が過ぎると指導者である看護師から注意されてしまいます。
特に小さい子どもは話し出すと夢中になるため、大人の都合で会話を中断するのは難しいものです。
指導者の厳しい視線を気にしながら実習に臨む学生さんの緊張感は、高校生の私にはそれなりに感じ取ることができました。
T看護師の叱責をきっかけに、初めて「まともに」会話した翌日のこと。
Mさんは、帰院した私に体温計を渡しながら周りを注意深く確認した後、小さな折り紙のようなものを下からスッと差し出しました。
あ…すなお君。今日は学校どうだった? 疲れたでしょ。
は…はい。ずっと座ってると足がむくんできて…だるいです。
検温と脈診が終わったMさんは、周囲を気にしながら足早にとなりの病室へ向かいました。
丁寧に折られた紙を広げると、それは可愛らしい便箋でした。
昨日は私を気遣ってくれてありがとう。
でもあれは私の失敗だから、T看護師さんのことを悪く思わないでね。
ところで、すなお君も毎日通学で大変だね…
こうして、ささやかな手紙のやりとりがはじまりました。
2.優しさと繊細さ
現在で言えばショートメールのようなものでしょうが、昭和63年当時ですから、そんなものは当然ありません。
今思えば不便この上ありませんが、それでも手書きの小さな手紙には情緒があふれていました。
手紙の内容は今どきのメールやツイッターなどと同じ、他愛のないものでした。
Mさんの所属する公立の看護専門学校は、病院から電車で2時間以上かかる遠い場所にありました。
私が入院していた病院は同県内の公立病院であったため、毎年その学校から実習生を受け入れていたようです。
そういうわけで看護学生さんは実習中、病院の向かいにある学生寮に宿泊していました。
寮では他の学生との相部屋になるため、「プライバシーや人間関係など難しい…」といったことが綴られていました。
私に渡す短い手紙も、ひとりになれるほんのわずかな時間に書いて下さっていたようです。
それでも、その内容からはMさんの優しさ、そして繊細な一面が伝わってくるようでした。
取りとめのない文章の行間に様々な思いが込められているようで、Mさん特有の雰囲気がありました。
私の方は、学校の授業についていくのが大変なこと、体育の見学が苦痛なことなど、通学や入院生活の中でのやり場のない気持ち…あとは今読んでいる小説の感想など、取るに足らない些細なことも含めた内容だったと思います。
検温の際に、お互いコッソリと手紙を交換するのはちょっとしたスリルであり、ささやかな楽しみでもありました。
いや、Mさんの方は、本当はそれどころではなく、ただ私に合わせて下さっていただけなのかもしれませんが…。
ともかく、自由に会話できる時間が限られている分、鬱屈した思いを手紙で伝えるのは当時の私にとっては必要なことであり、心の癒やしにもなっていました。
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3.お別れのあいさつ
そんなMさんとの文通も、実習の終了とともに終わりを迎えます。
2月下旬の実習最終日は、普段より早めに病棟実習を切り上げ、15時半頃には学校の送迎バスで帰校するというのが慣例のようでした。
私は15時半ギリギリの時間に何とか帰院し、制服のまま送迎バスの停車場へ急ぎました。
停車場の近く、「職員用出入口」のあたりで、偶然にもMさんとバッタリ出会いました。
Mさんも、学校の制服姿。荷物をバスに運び終え、まさに乗車する直前でした。
前日のうちに、「明日はもう会えないかもね。お世話になりました」などと話していたので、Mさんは驚いていた様子でした。
あ…どうも…。
…どうも…。
気をつけて。さよなら…。
さよなら…。あ…すなお君、ありがとう…。
もうちょっと気のきいた言葉が掛けられなかったのかと言ってやりたいところですが、ふたりともまだ若く、純情(?)でした。
お互い、住所など連絡先の交換をすることもありませんでした。
文通はちょっとした息抜きのようなものであり、Mさんにとっては実習を乗り切る事こそが全てだったのでしょう。
私も結局は「日々を生きる」事に精一杯であり、ましてMさんをひとりの女性として意識することもありませんでした。
二度とない、若き日の思い出としてかすかに記憶される…はずでした。
<次回につづく>
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