すなおのひろば

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【病気療養中の思い出:その8】看護学生 Mさんとのかかわり…⑤途絶えた手紙

f:id:sunao-hiroba:20190111135048p:plainMさんは遠路はるばる私の自宅まで会いに来て下さいました。
私たちは、他愛のないひとときを過ごしました。

後日、すぐに手紙が届きました。
それは私と過ごした再会の日を振り返る内容でした。

 

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1.薄れゆく繋がり

…百貨店にいたとき、私のことをじっと見て、何か言いたそうにしていたよね。
あのとき、本当は何が言いたかったの? すごく気になる…。

…あのマンションの屋上は「すなお君の空間」なんだね。
私なんかが入ってもよかったのかなぁ…。

あそこから町を眺めていると、下では人が歩き、車は走ってて。
私たちの周りは風だけが動いてて、それ以外は時が止まっているように静かで…。

あんな風に、何も考えずいつまでもボーっとできる場所が、私にも欲しいな。

いいな、すなお君にはそういう場所があって…

 

Mさんならではの、繊細で感受性豊かな文章でした。



私はその後も、予備校通いの日々に追われます。

しかも入試3ヶ月前に肝機能悪化で再入院するなど、まさに最大のピンチを迎えていましたが、何とか乗り越え、12月、某私立大学に合格しました。


手紙でMさんに報告すると、しばらくして返信が届きました。

おめでとう! これからの長い人生の第一歩が踏み出せたんだね。

どんなキャンパスだろう…いろいろ想像してしまいます。

ちなみに私は、退職する前任者からの引き継ぎ業務で、もう毎日くたくたです。

前任者が毎日夜遅くまで残ってやっていた仕事を、私なんかに出来るわけないよ。
毎日のように残業です…

 

それ以降も幾度か手紙のやりとりをしていましたが、やがてその頻度は徐々に少なくなっていきます。

 

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2.言い知れない複雑な気持ち

1990(平成2)年の4月下旬、大学生となった私は退院しました。

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たまに届く手紙には、退学後に入社した中小企業を辞め、アルバイトをしていること…そこでの人間関係は良好で、楽しく過ごせていること…地域のボランティア活動をしていることなどが綴られていました。

けれどもその文面からは、いつしかMさんらしい優しさ、繊細さが失われ、ただ淡々と日常の場面を書き連ねているだけのように感じられました。

百貨店で買い物をしていた時の、言い知れない複雑な気持ちが蘇ってきました。

ひとことで言えば、「失望感」に近いものでした。

なぜそう感じてしまうのか、その時は自分でもよく分かりませんでした。



Mさんの方から便りが来ることはなくなりました。

私から先に手紙を出しても、Mさんからの返事は、やはり「通り一遍」の内容に終始していました。

もはや、Mさんにとって私との交流は必要ではなくなったのだと感じました。


そして私が大学2年の頃には、文通は完全に途絶えてしまいました。

 

3.ある後悔

私には、ずっと思い残していたことがひとつありました。

f:id:sunao-hiroba:20181110101009p:plain病気療養中の様々な経験の中で、私は大学時代、

「病気が治ったら、医療従事者として私と同じように苦しんでいる患者さんのために役に立ちたい」

という気持ちが日増しに強くなっていました。

実は、そういう思いは高校3年の当初から芽生えており、理学療法士(PT)という資格があることも、すでに知っていました。

 

私は、Mさんが看護学校を辞めるかどうかの瀬戸際になるよりも前から、

ぼくも体が良くなったら、医療従事者になりたいです。

できればPTがいいな。

そうしたら、ナースになったMさんと、いつか一緒にお仕事できるかもしれないですね…


そういう風に伝えたい気持ちがありました。

しかしながら当時の私には、そう言い切れるほど将来の見通しや病気の治癒の見込みもなく、また自信もありませんでした。



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仮に私がそれを伝えていたところで、Mさんに何か良い影響を与えられたかどうかは知る由もありません。

第一、「苦境を乗り越え看護師になる」ということが、その後のMさんの人生にとって本当に良いことだったのかも疑問です。

「学校に近づくと動悸がする」ところまで追い詰められていたMさんは、すでに心を病んでいたのでしょう。

そういう時に励ますように接するのは、かえって逆効果とも考えられます。

気持ちを伝えるタイミングは、もう過ぎていました。

 

…どうすれば良かったのかは今となっては分かりません。

ただ、その思いを伝えてさえいれば自分なりに納得できたのでしょうが、「やらずに後悔」となってしまったのは、いつまで悔やんでも悔やみきれませんでした…。

<次回につづく>

 

 

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