私は、「優しく繊細な看護学生Mさんが、看護師として再び目の前に姿を現す…そして私もPTとなり、ともに医療従事者として励まし合い、交流を続ける」そういう時が来るのを、ただ一方的に夢見ていたのでしょう。
しかし、それは叶いませんでした。
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1.一方的な思い
学生だった頃のMさんは、とても繊細で壊れやすい人でした。
彼女自身、そんな自分と闘いながら、精一杯「気の利く、優しい看護学生さん」を演じていたのだと思います。
そして私はいつしか、そういうMさんに惹かれていたのでしょう。
学校を辞め、呪縛から解放されたMさんは、やっと本来の自分らしさを取り戻せたのかもしれません。
しかし、一方的に抱いた「虚像」としてのMさんに固執していた当時の私には、「変わってしまったな…」としか感じられなかったのです。
医療とは別の進路を選んだMさんに対して感じた、言い知れない複雑な気持ち、失望感…その根源が、私にはようやく分かりました。
2.「同じ苦悩」をあゆむ
私は大学を卒業後、PTの養成校に入学しました。
Mさんに、このことを報告したいな…。
正直、そう思いました。
ただ、文通は長らく途絶えていましたし、すでに別の人生を歩んでいるMさんに対しては、もう意味の無いこと…むしろ迷惑では…と考え直し、手紙を書くのは思い留まりました。
私の専門学校生活もまた、苦悩の日々でした。
2年生の時には「辞めたい」と思うようになり、一度は退学を申し出るまでに至りました。
その理由は、皮肉にもMさんと同様、「学業と人間関係」の悩みからでした。
「Mさんもあの時、こんな辛い気持ちだったのかな…」
「不甲斐ないこの私を、Mさんだったらどう思うだろうか…」
たびたびMさんのことを思い出し、そう自問していました。
その後も紆余曲折あったのですが、一旦留年して出直すこととなり、何とかPTになることができました。
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3.胸に刺さるトゲ
PTとして、すでに21年の歳月が流れました。
最終的には病院のリハビリ部門責任者にまでなりましたが、昨年そのポジションを捨て、週2回のみ勤務という「セミリタイア生活」に身を落としました。
常勤職員として定年まで勤め続けることは、私の心身には厳しかったようです。
学生時代のMさんと同じく、私も精神的に脆く、医療人としては適性に乏しかったのでしょう。
こんな今の私の姿を、Mさんが見たらどう思うだろう…。
Mさんとの出会いから、もうすぐ31年になります。
ぼくも医療従事者になりたいです。そして一緒に…
その思いを伝えることなく、便りは途絶えてしまいました。
それを伝えることにどれだけの意味があり、結果として何が変わったのか(あるいは何も変わらなかったのか)も今となっては分かりません。
ただ…仏教の思想に「諸法無我」とあるように、すべての物事は互いに影響を与え合うことで、はじめて存在が成り立つものです。
病気療養中にお世話になった医師や看護師、看護学生の方々…。
逆に、私に心無い言葉を浴びせた「反面教師」としての高校時代の先生…。
多くの人とのかかわりの中で私は様々な影響を受け、それがPTをめざす動機づけになったことは間違いありません。
そういう意味では、「相互作用」が生じることを恐れずに、あえて自分の思いを率直に伝えた方が良かったのではないか…とも思います。
それは私の人生の中でひとつの心残りとして、今でも小さなトゲのように、胸に刺さっています。
<おわり>
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