今から30年ほど前に、私は病気でしばらくの間療養していました。
ここでは、その頃のさまざまな思い出をつれづれと綴っていきます。
まずは、私と同じ病気で同室に入院していたK君と外出を計画するまでのおはなしです。
《スポンサーリンク》
1.肝臓病の治療食
私は高校2年~大学1年の頃にかけて、慢性B型肝炎で幾度か入退院を繰り返していました。
最初の入院は、高校2年の10月末~高校3年の6月なかばまでの間でした。
※詳しくは「プロフィール詳細」をご覧下さい。
入院して1ヶ月ほど経った頃、少しずつ高校への通学が許されるようになりましたが、基本的には授業が終わったらまっすぐ病院に戻り、治療を受けるという日々でした。
通学のための外出時間は厳密に決められているので、途中で寄り道したり、間食したりといった事はもちろんダメです。
肝疾患の治療食は、黄色い食札に「肝Ⅱ」とか「肝Ⅲ」などと記載された、あっさりした味付けの「肝臓食」です。私の好きな揚げ物などは、献立にはまず入っていません。
一度チキンカツが出てきた時には、「え、これ何かの間違いじゃ…?」と、思わず看護師さんに尋ねてしまった程です。
調理して下さっていた方々には申し訳ないのですが、まあ正直言ってよほどおなかが空いていないと、おいしいとは思えないものでした。
2.K君との外出計画
一緒に入院していたK君は、ひとつ年下の高校1年。彼は中学生の頃から闘病しており、留年も経験している「苦労人」です。
動物好きで、将来は獣医になりたいといって勉学に励んでいました。いつも前向きで明るい好青年でした。
私が何とか留年を免れ、高校3年になって間もない4月なかば頃だったと記憶しています。
来る日も来る日も病院と学校の間を往復し、味気ない食事を摂り治療を続けるのは、私もK君もいささかうんざりしていました。
すなお:「あ~うまいもん食いてえ…」
Kくん:「ほんと。なにか甘いものが食べたいね」
すなお:「おやつの時にチョコレートパフェとか出てきたらいいのになぁ」
Kくん:「それは無いね…奇跡でも起こらない限り」
そんな実りのない会話が延々とつづきますが、やがて私の頭の中はグラスに盛られたアイスクリームやホイップクリーム・チョコソース・フルーツのトッピングといった想像図から離れられなくなるのでした。
すなお:「なあ、K君。今度の日曜日、外出してパフェ食べにいこう!」
Kくん:「わ~いいねぇ! でもF先生、許してくれるかなぁ…」
《スポンサーリンク》
3.最大の難関…F先生
F先生とは、私たち共通の主治医です。
どちらかというと寡黙で、治療方針は厳格。「肝臓に負担のかかることはできるだけ避けて」と、通学も徒歩ではなく自転車を使うよう指示されたほどです。
平日は通学で体力を消耗する分、日曜日は院内で静養するのが決まりでした。
パフェのことは内緒にするとしても外出を許可してもらえるかどうかは微妙でしたが、当時2人とも肝機能が落ち着きつつあったのは好材料でした。
恐る恐る、F先生にお願いしてみました。
名目としては、「◯◯川の河川敷までサイクリングに行きたい」というものでした。
すると…何と! 意外にもすんなり許可して下さいました。
ただ、一言「無理はするなよ。分かってるだろうけど」とクギを刺されました。
ニヤリと笑って立ち去るF先生の背中を見送りながら、K君も私も、心の内を見透かされたようでギクリとしたものです。
「決行日」は、数日後の日曜日。9時~13時までの4時間です。
《スポンサーリンク》