私が入院して3ヶ月ぐらい経った頃、看護専門学校の学生さんが「臨地実習」で病棟に来ていました。
その時に知り合った看護学生の一人、Mさんとの交流について綴っていきます。
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1.そもそものきっかけ
それは1988(昭和63)年の1月末頃だったと記憶しています。
私は高校2年だった1987年10月末、慢性B型肝炎に罹り入院しました。
諸事情により、高校生ながら「小児病棟」への入院となりました(詳しくは過去記事をご覧下さい)。
入院して約1ヶ月後には、半日のみ高校への通学が許可されましたが、その後肝機能がさらに落ち着いてきたこともあり、3ヶ月経過した1月末の時点では丸一日の通学が可能となっていました。
学校が終わり病院へ戻るとナースステーションで外出許可証を返却、帰院時間をノートに記入し、病室へ戻りジャージに着替えます。
すると、廊下からベテラン看護師・Tさんの、叱責するような強い口調が聞こえてきました。
Tさん:「…今度からは自己判断で勝手に動かないでね。分かった!?」
看護学生:「は、はい…申し訳ありませんでした…。」
それが、Mさんとかかわりを持ったきっかけでした。
授業が終わってまっすぐ帰院しても、だいたい15時半~16時にはなってしまいます。
そうすると、看護学生さんと接する時間は実質1時間余りなので、直接かかわる機会はほとんどありません。
それに、その頃の私は学校の授業に全くついていけず留年の危機にさらされ、治癒の見込みも不透明であったことから精神的にかなり落ち込んでいました。
帰院しても、職員の方々や一緒に入院している子どもたちと積極的に会話することもなくなり、すっかり殻の中に閉じこもっている状態でした。
看護学生さんはみな2年生。私より3歳年上ですが、実質ほぼ同世代と言えます。
10数名ほどの学生さんたちも、引きこもり気味の私を「腫れ物にさわる」ように気遣い、恐る恐る接して下さっていたのではないかと思います。
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2.はじめての会話
ベテラン看護師・Tさんの大声は廊下に響きわたっていたため、その内容は私にもすぐに把握できました。
ある子どもの母親から「病状説明をしてほしい」という依頼をMさんが受けたのですが、たまたま近くを通りかかった主治医に直接その話をしてしまったため、そのまま母親へ説明する運びとなり、結果として現場の指導看護師への報告・相談が後回しになった、ということのようでした。
それからほどなくして、Mさんは検温と脈拍チェックのため私のところへ来ました。
平静を装いながらも、叱責されたショックで顔はこわばっているようでした。
私は少し躊躇したのですが、思いきって話しかけてみました。
あの…Tさん、みんなが見ている所であんなに怒らなくてもねぇ。
え! あ…あぁ、あれはね~私がぜんぶ悪いのよ…。
それまでにも何度かMさんにバイタルチェックをしてもらう機会はあったのですが、まともに会話することはありませんでした。
そんな私から突然話しかけられたことに、Mさんはビックリしたようでした。
Mさん、さっきのこと、気にしないで下さい…。
…うん、ありがとう…。
Mさんの表情は、笑っていてもどこか淋しげで、少し「陰」を感じさせるものがありました。
脈を触れるMさんの手が、ひんやりと冷たかったのを覚えています。
そしてその日から、Mさんとのささやかな交流がはじまりました。
<次回につづく>
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