ダークフィグマの毒舌日記
拙者はダーク小次郎。訳あって播州の流れ者・フィグマ武蔵と試合うこととなった。実戦の役に立たぬ武蔵の二刀流など相手としては甚だ不足であるが、小倉藩剣術師範としての面目ゆえ致し方あるまい。船島へ渡った拙者は、定刻通りに武蔵を待ち構えていた。
拙者はダーク小次郎。剣術師範として小倉藩に召し抱えられた兵法者でござる。流派は『巌流(がんりゅう)』と号する。時は慶長17年5月。世間からは天下一と評され、藩主・細川忠興公に剣術指南を施すなど多忙な日々を送っていた。そんなある日のこと…。
ネットショップの薄暗い倉庫で永らく眠っていた俺は、ブログの画像モデルになって初めて外の世界を知ることになった。俺は驚いた。光と色彩、あまたの事象に溢れているこの世は、不思議でいっぱいや。生きてる間に全てを知り尽くすなんて、到底無理やろな。
今回は、当ブログの愛すべきキャラクターであるダークフィグマと、私すなおとの関係について綴りたいと思います。彼を主人公とした記事『ダークフィグマの毒舌日記』には、大袈裟な言い方ですが私の人生観に基づくさまざまな想いが込められています。
意表を突いての右ノド輪・左おっつけからダーク・スペシャル、そして吊りまで残されてしもた。俺の方が攻勢やのに、追い詰められてるような気がするのはどういうわけや。さすが俺のライバルやな、フィグマ。けどな、前回負けた悔しさを俺は忘れてないで…。
相撲は古来から天下泰平や五穀豊穣を願って、神事として行われてきたらしい。フィギュア界きっての力士である俺もフィグマも、すなおさんから教えてもらうまで知らんかったんや。恥ずかしいな。コロナ祓いのためにも、俺らは命を懸けて相撲を取るつもりや。
人間社会では新型コロナウイルスの感染拡大が問題になってるようやな。俺らフィギュアには関係ない事やけど、ブログの画像モデルとしては出番が少なくなるのが難儀や。すなおさんも一応医療従事者やから、何かと忙しそうやし。最近はヒマでしゃあないわ…。
俺は自分がどこから来たのか知らない。しばらくの間、船に揺られてたような気もするけど、夢の中みたいで記憶は曖昧や。そして気がついた時には、某ネットショップの倉庫の片隅に無造作に置かれてた。人間の赤ちゃんのような感動的な誕生とは程遠いな…。
平和な正月や…。気候も穏やかで、すがすがしい気分やなぁ。今日はすなおさんから頼まれて、バイクのメンテナンスや。次の記事で使うらしいで。どんな内容になるのか楽しみや。2020年の毒舌日記も、読者の方々の期待に応えられるよう頑張らなあかんな。
長いこと生きてたら、厳しい局面に出会う機会はたくさんあるわな。それは人間だけやない。俺らフィギュアでも同じやで。ネットショップの不良在庫として廃棄処分される寸前やった頃も、ブログの画像モデルの今も、しんどいことはそれなりにあるもんや。
俺には左手首が外れやすいというハンディキャップがある。何度か修理してもらったけど、未だに完治はしてない。ブログの画像モデルとしては致命的なことやけど、すなおさんやフィグマに支えてもらいながら何とか乗り切ってきたんや。そんなある日のこと…。
人間社会で「トモダチ」っちゅう言葉があるけど、俺にはよう分からん。馴れ合いっぽくて好きな言葉やないわ。フィグマとの仲も、そんな「なあなあ」なもんやない。俺らは職人として与えられた仕事をこなすだけや。それがブログの画像モデルの定めなんや。
俺が某ネットショップの売れ残り商品として、倉庫の中でくすぶってた頃の話や。そこには俺と同じ境遇の仲間が他にもぎょうさんおった。大量消費社会の中で造り出された「悲しき玩具」たちの宿命や。今でも、そいつらの事を思い出したら胸が苦しくなるんや。
俺はいつ、どこで産まれたんやろ…。ふと目覚めた時、俺はア◯ゾンとかいうネット通販サイトに売りに出されとった。価格1,000円台の叩き売りや。それでも1年近く某玩具店の倉庫の隅でホコリを被っとった。そんな俺を救い出してくれたんが、すなおさんや。