私が高校3年の後半に差し掛かった頃、看護専門学校3年のMさんもまた苦しんでいました。
私は落第ギリギリの成績で何とか卒業、しかし大学受験は失敗し、浪人することとなりました。
一方、Mさんは悩み抜いた末に学校を中退し、別の人生を模索します。
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1.それぞれの進路
退学を決意したMさんは自身を縛りつける苦悩から解放されたのか、手紙の文面からは意外とサバサバしているようにも感じられました。
3月に入ると、間もなく中小企業の事務職員として働き始めたようでした。
もともとナースにあこがれていたわけではなくて、医療の国家資格を持っていたら食いっぱぐれが無いとか潰しがきくとか、周りから勧められて何となく入学してしまったの。
でも、精神的に弱くて人とのコミュニケーションが苦手な私には向いてないと分かったよ。
デスクワークとか単純作業の方が、性に合ってるみたい…
一方、私の方は先の見えない浪人生活が始まりました。
苦手な英語の勉強は、遅々として進みません。
そんなある日のこと…。
2.思いがけない再会
それは突然のことでした。
5月上旬のある土曜日の昼下がり、Mさんは私の自宅を訪ねてきました。
住所を頼りに、2時間半ほどの道のりを軽自動車で。
1年と2ヶ月ぶりの再会でした。
不意の来訪に、どのように持て成したら良いのか戸惑いましたが、自宅でひとしきり話した後、Mさんが買い物をしたいと言うので、まずは近くの百貨店へ案内しました。
Mさんはごく普通の若い女性らしく、嬉々として靴やバッグなどを物色していました。
その後ろ姿は、看護学生の頃よりも幾分ふっくらして見えました。
屈託のない笑顔で、かつての「陰」は消えつつあるようでした。
喜ばしいことですが、私はなぜか、言い知れない複雑な気持ちを抱いていました。
私の視線に気づいたMさん…。
なあに? 何か言いたそうだね、すなお君。
いえ…別に。お買い物、楽しそうだな、と思って…。
太ったな、って言いたいんでしょ?
でもね、私、学生の頃は異常に痩せてたのよね~。
そっか…そうだったんですね…。
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3.お別れの握手
買い物が一段落した後は、何となく手持ち無沙汰になりました。
私は、自宅近くのマンションの屋上にMさんを誘いました。
高い所から町の景色を眺めていると気分が落ち着くため、たまにひとりでふらりと向かう場所でした。
当時はまだセキュリティーも厳重ではなく、簡単に入り込むことができました。
ふたりで小一時間ほど、そこに居たでしょうか…。
そこで何を話したのかも覚えていません。
1年前の思い出話に花を咲かせるでもなく、ただぼんやりと佇んでいたように思います。
夕暮れになり、お別れの時が来ました。
私は少し照れながら、握手を求めました。
Mさんは、快く握り返して下さいました。
あの時と同じ、ひんやりとした冷たい手でした。
そして、それきりMさんと再会することはありませんでした。
<次回につづく>
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