高校卒業後、一浪を余儀なくされた私。
しかも受験の3ヶ月前に再入院し、病気療養中最大のピンチを迎えてしまいました。
それを乗り越えることができたのは、やはり医療従事者の方々の援助と励ましがあったからです。
この時、私の社会人としての方向性は決まったと言えるでしょう。
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1.現実認識に乏しかった高校時代
高校入学後、常に落ちこぼれ寸前の低空飛行だった私は、元々大学へ進学する気などさらさらありませんでした。
ところが高校2年でB型肝炎を発症したことにより、卒業後すぐに就職するという望みは実質的に断たれたのです。
周囲からの勧めは、「文系の大学へ進学し、治療に専念すること」でした。
「身体にハンデがあるのなら、頭脳でそれを補うのだ。まずはしっかり勉強し、学歴を身につけろ」
それでも勉強嫌いな私は現状から目を背け、人生の壁を徹底的に避けようとしていました。
結果として、「頭カラッポ」の状態で一浪生活をスタートすることとなったのです。
ここから先は七転八倒の日々でした。
※この時期のことは過去記事に綴っています。もしよければご覧下さい m(_ _)m
2.天は我を見放さず(?)
人生において、辛いことは永遠には続かないものです。
愚直に努力することの大切さを、私は初めて学んだのかも知れません。
小児病棟では消灯時間が20時30分と早かったのですが、受験勉強のために消灯後も「プレイルーム(昼間は院内学級の教室)」を使うことを許して頂けました。
ずっと苦手だった英語は、この時ようやく克服することができました。
そして私は、無事に合格しました。私立B大学の経済学部・経営学科。
実は、第一志望はA大学の文学部・社会福祉学科だったのですが、進路の見えない暗闇の日々から解放され、とりあえずホッとしたことは確かです。
「天は我を見放さず」
「天は自ら助くる者を助く」
私は当初、そのように思いました。
が、合格から数週間後、小児病棟の医師・看護婦の方々からお祝いの寄せ書きの色紙を頂いた時、いかに多くの人に支えられてきたかを遅まきながら再認識したものです。
3.心温まるメッセージに感謝の意を込めて…
寄せ書きを発案して下さったのは、4児のママさん看護婦・Tさんでした。
以下、寄せ書きの内容を一部抜粋させて頂きます。
※例によって30年前ということもあり、当時の方々に了承を得ることは叶いませんが、感謝の気持ちを込めて掲載させて頂きました。何とぞご容赦下さいませ。
祝 合格☆
すなお君、おめでとう。どんどん社会勉強をしてね。
成長したすなお君にまたあいたいな。
(看護婦・T)
Tさんとはその後も交流があり、色々とお世話になりました。退院後、『夏祭り』に誘って下さったのもTさんです。
残念ながら、遠方の他県に引っ越されてからはお会いできていません。またいつか再開したいですね…。
これからいろいろなことを経験して大きく成長していって下さいね。
スポーツができなくても、日焼けしてなくても、笑顔ひとつあれば十分カッコいい! と思います。
(看護婦・I)
新人にもかかわらず落ち着いた雰囲気の、優しく清楚な方でした。この言葉に勇気づけられましたね。
合格おめでとうございます。この1年の努力忘れないように!!
これからの大学生活をenjoyしてください! 3Fにもたまには顔見せしてネ。
(看護婦・N)
数年後、通院していた診療所にNさんが勤めるようになったこともあり、その後も何かと可愛がって頂きました。
音楽の趣味も共通していて、入院中よく洋楽のカセットテープやCDを貸して頂いたものです。
合格おめでとう! がんばったね。
退院しても、病棟に来てまたあのコマ回しの芸をみせてネ。
(看護婦・W)
私は当時コマ回しが得意で、正月になると子供たちや看護婦さんに「綱渡り」などを披露していました。
今回、寄せ書きを読んでいて思い出しました(^_^)
昨年からのこの1年、すなお君はまたひとつ大人になっているなぁ~とつくづく感じています。
クリスマス参加してくれて嬉しかったワ。
人間は人の間に生きるものだから、相手との関係を大切に思って、ひとつひとつあせらず階段をのぼって下さい。
(看護婦・S)
長身で萬田久子さん似の中堅看護婦さん。とにかく優しい人でした。
「人間は人の間に生きるもの」本当にそうですね。
合格おめでとう!! さあ頑張って彼女づくり彼女づくり…(もういるかな?)
誰かのために成長する。これからはこれだね ✌ピース
(看護婦・H)
「誰かのために成長する」この言葉が印象的です。
ちなみに彼女はいませんでした(^^ゞ
ハメをはずして酒・タバコをのまないように、十分に遊んで下さい。
(医師・O)
タバコは吸いませんでしたが、お酒は…。
よくお見通しです、さすがDr(^_^;)
六然
自処超然
処人藹然
有事斬然
無事澄然
得意淡然
失意泰然
どや、感心したか。
(医師・M)
やっぱりDrのお言葉は違うなぁ…と改めて感じますね。
六然(りくぜん)、まさに鉄板の人生訓ですが、当時はネットも無い時代。意味を調べるの大変でしたよ(^_^;)
勉強適当、遊び無用。
(主治医・F)
この一文で、主治医がどういう方だったか想像できると思います。
普段はとにかく寡黙で厳しいDrでしたが、私の合格を聞いて「本当か!? センセイはうれしいよぉ~!!」と奇声を上げて喜んで下さったことが忘れられません。
ちなみに、私に英語の勉強の仕方を伝授して下さった院長先生には合格のご報告こそ出来たものの、寄せ書きにはお言葉を頂けませんでした。
この時期、院長先生は診療所の開業を控えており、準備等でご多忙だったのだろうと思います。
退院してからは、点滴などの治療は院長先生の診療所、定期検査はF先生の総合病院、と掛け持ちで通院することとなります。
ちょっとはにかんだ時の笑顔がとってもやさしくなったあなたです。
これから始まる新しい世界で、もっともっと大きな夢を追って下さい。
(看護婦・R)
小柄で理知的、とても落ち着いた感じの方でした。
よく相談や愚痴を聞いて頂いたものです。
おめでとう。いい友達たくさん作って下さい。
たまにはおもしろい看護婦さんのことを思い出してね。
(看護婦・Y)
クリスマス会の時に一緒に写真に納まった、あの新人看護婦さんです。
年齢が近い(3歳差)こともあり、時には友達、また時には姉のように振る舞って下さいました。素朴で優しい人でしたね。
せっかく苦労して大学に入ったのだから、遊ぶだけではもったいない。
やっぱり勉強もしましょう。
(看護婦・B)
厳しくて、子供たちからは恐れられていた中堅看護婦さん。コメントもとことん真面目です。
パソコンが趣味という、当時の女性としては珍しい一面も。
相手のことを思って、あえて厳しく接する…実はとても優しい人なのでした。
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4.寄せ書きに、いま改めて想う…
大学に合格した時、ひとまずは安心しつつも、将来に向けてのモヤモヤした想いは残ったままでした。
なぜなら、その頃にはすでに医療従事者に対する憧れが強くなっていたからです。
もちろんPTという職業のことも知っていました。
しかし当時、そういう気持ちは看護婦さんや医師の方々には打ち明けられませんでした。
病気を乗り越える自信と勇気が、まだまだ無かったからです。
「このまま大学を出たらどうなるのかな…。普通に企業へ就職するのだろうか?」
大学卒業後、私は思い切ってPTの養成校へ入学しました。
その後も紆余曲折ありましたが、何とか資格を取ることができました。
寄せ書きにメッセージを下さった方々のうち、医療従事者になったことをお伝えできたのはごく一部だけです。
PTとして医療に携わることが、当時お世話になった医療従事者への恩返しになると思っていました。
成長したすなお君にまたあいたいな…
私は期待通り「こんなに成長しました」と、胸を張って言えるのだろうか…。
今も私は、あの頃と同じように底辺で、もがき続けているように思えます。
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