今から10年ほど前、私が勤務していた「A病院」での出来事です。
脳血管障害や高齢の患者さんは、誤嚥を起こすことがよくあります。
そのため、嚥下訓練はリハビリの中でも重要な位置を占めています。
摂食・嚥下リハビリの専門職としては、言語聴覚士(ST)が代表的。
ところが、当時A病院にはSTが在籍していませんでした。
今回は、STの募集を巡る病院経営者や医師との不毛なバトルを前・後編に渡って綴りたいと思います。
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1.嚥下訓練の算定要件
診療報酬には、『摂食機能療法』という算定項目があります。
医師・歯科医師の指示の下に、ST・看護師・准看護師・歯科衛生士・理学療法士(PT)・作業療法士(OT)が行う場合に算定できるとされています。
摂食機能療法、すなわち嚥下障害に対するリハビリ(以下、嚥下訓練と略します)は、大きく2種類に分けられます。
◆直接嚥下訓練:食べ物を使った摂食訓練
⇒ゼリーやとろみ食など誤嚥しにくい形態を考慮し、実際に食べる訓練。
◆間接嚥下訓練:食べ物を使わない基礎訓練
⇒舌や喉・顔面の筋肉など、嚥下に必要な周辺機能を鍛える訓練。
⇒食事の際の体位設定、姿勢調整など。
直接訓練はもっとも実践的で重要なものですが、窒息や誤嚥性肺炎のリスクを伴います。
そのため、医師・歯科医師による直接介入のほかは、ST・看護師・准看護師・歯科衛生士に限り行うことができます。PT・OTが実施するのは違法です。
一方、間接訓練についてはPT・OTでも実施可能ですが、できる事は限定的です。
STは失語症や聴覚障害等のリハビリを行う専門職ですが、嚥下訓練のエキスパートでもあります。
しかしながら、我が国ではPT13万人・OT6万人に対し、STは4万人弱(実際の就業者数はさらに少ない)と、まだまだ不足しているのが実状です。
2.ST募集に動き出す
A病院には「療養病棟」があり、高齢者が数多く入院していました。
誤嚥性肺炎を呈する患者さんは多く、嚥下訓練の潜在的ニーズは極めて高いです。
にもかかわらず、この病院のリハビリ科にはSTが在籍していませんでした。
そのため地域の医療ニーズに応えられていないばかりか、嚥下訓練を希望する患者さんの転院受け入れにも対応できていない状態がずっと続いていました。
リハビリ科の科長としてA病院に就任した私は、上司(診療支援部の部長)にSTの雇用を提案しました。
当時、部長は事務系出身者。
医療専門職でないこともあり、STの業務内容はおろか、その必要性もよく分かっていません。
そんなにSTが欲しいのなら、稟議書を書け。
私が個人的にSTを欲しているのではない。
それを必要とする地域の患者さんのために、リハビリ科の管理職として提案しているのだ…。
その言葉を飲み込み、私はさっそく稟議書の作成に取り掛かりました。
3.稟議書の作成
できればフルタイムで雇用したいところですが、そこまでのニーズは無いだろうと言われ、まずはパートタイマーの募集を検討することになりました。
①現状について
ニーズはあるにもかかわらず、ST不在のため対応できていない。他院からの紹介患者を取り逃がす原因にもなっており、当院運営上の不利益を生じている。
②想定患者数
1ヶ月当たりの算定件数(収益)の試算。
③雇用コスト
周辺地域における一般的なSTの時給の相場(最安~最高額を例示)。
④上記より想定される純利益の試算
これらの項目を端的にまとめ、稟議書として提出。
さらに、部長には口頭で補足説明をしました。
知り合いのSTさんにも相談してみましたが、平均的な時給ではなかなか応募は来ないでしょう。
潜在的なニーズを考慮すると、最高額で雇用しても十分に黒字が見込めるはずです。
ふ~む……。
この職場では大事な懸案に限って放置されがち。何度も催促しなくてはなりません。
しばらくののち、ようやく稟議は通りました。
けれども、最終的に決定された時給は、相場としては最安ランク。
これは経営者(理事長)の意向によるものです。
ST? なにそれ。
綺麗事ばっかり言ってもね、儲からにゃ始まらんのよ。
A病院の経営者もまた「事務系の人」でした。
病院経営者は医師でなければダメだ、ということはありません。
事務系出身者でも、地域の医療ニーズをちゃんと把握している人もいます。
要は、勉強しているかどうか。
この経営者は、控え目に言っても勉強不足。もっと踏み込んで言えば「無能」でした。
いかに人件費を抑えるか。それだけしか考えていないように見えました。
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4.待ち人来らず
まずはハローワークに募集をかけるとともに、病院ホームページの求人欄にも掲載。
さらに、私が過去に勤めた病院で同僚だったベテランST(現在は養成校の教員)に声掛けするとともに、その他多数のST養成校にも求人票を送付しました。
こんな事は普通、総務課とか人事課が手配するものですが、この職場は何でも現場任せ。
それでも、私は「自分の経験になる」と前向きに捉え、動きました。
しかし、この雇用条件じゃあ誰も応募してくれないだろうな……。
案の定、何ヶ月経っても応募者は現れず。
電話での問い合わせが1件あったのみでした。
上司や経営者に対する私のプレゼンテーションも、いまいち説得力に欠けていたのかも知れません。
思うようにならず、自分の力不足を痛感するしかありませんでした。
そんなある日のこと、とんでもなく不毛な事件(?)が発生します。
<後編につづく>
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