自分もいつかこの世を旅立つ時が来る。
みなさんは、それをはっきりと意識し始めたのは何歳ごろからでしょうか…?
私は、おそらく高校2年の頃だったと思います。
それは、当時世間の話題に上っていた疾患に罹ったことがきっかけでした。
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1.「俺も生身の人間なんだな」
私が高校1~2年くらいの頃(1986~87年)、新聞やテレビニュースで「B型肝炎」なるウイルス性疾患のことがセンセーショナルに報道されていました。
当時、ある週刊誌にも『エイズより怖いB型肝炎』といったおどろおどろしい見出しの記事が掲載されていたのをよく覚えています(いま考えてみるとエイズ・B型肝炎双方の患者に対しずいぶんと配慮に欠け、偏見を煽る見出しのように思えますが…)。
私自身はその報道以前から身体的に「ある異変」を感じており、肝臓などの消化器官に何らかの問題があるのではないかという一抹の不安がありました。
しかし、いま世間を賑わしているその病気にまさか自分が罹っているとまでは予測できなかったので、その時は大変なショックを受けました。
私の「慢性B型肝炎」それ自体は、劇症肝炎や肝硬変といった直ちに命の危険にかかわる状態ではなかったので、他者から見て私が肝臓疾患であるとは気づかれない程度のものでした。
ただ、マスコミで繰り返し報道されている病気に「自分もなるんだ…やっぱり俺も生身の人間なんだな」と再認識し、奇妙に納得していたことは確かです。
いま思えば、それが「自分の肉体もみんなと一緒、いつかは尽き果てるのだ」と具体性をもって意識し始めた瞬間だったように思います。
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2.「人の最期」を客観的に捉えること
当時私が入院したのは、小児病棟でした。
そこには先天性の重篤な疾患を持つ、たくさんの子どもたちがいました。
ある日の早朝、重症個室側の廊下から、子どもの名前を連呼し泣き叫ぶ悲痛な声が響きわたりました。お父さん・お母さんと思われます。
入院中、そんな光景を何度か見ることがありました。
それ以前にも中学1年の頃、進行性筋ジストロフィーの同級生が亡くなったり、中学3年の時には父方の祖母が亡くなったりといったことがありました。
棺に横たわる冷たい亡骸に触れたとき、「あぁ、みんなこうなるんだな」と、言い知れない無常感を抱いたものです。
核家族化し、また病院で人が亡くなるのが普通である現代は、若い人が身内や他人の臨終を間近に見る場面が昔と比べて少なく、客観的に「人の最期」を捉える機会に乏しい時代であると言えるでしょう。
それが良いことなのか悪いことなのかは分かりませんが、私たちはあらゆる動植物や多くの先人の犠牲の上に成り立っているのですから、生命の大切さとか生きることの意味などを考える上では、ある程度若い頃から「他者との永遠の別れ」を経験しておくことは、私たちが思っている以上に重要なのかも知れません。
しかしながら、人は「自分自身もいつかはこの世からいなくなる」という避けられない事実について、普段はあまり意識することがないのが普通です。
他者の臨終の場面を間近に見る機会が多くあったとしても、それはあくまでも客観的な視点からであり、自身で追体験できる類いのものではないからです。
そして通常、人は自分の存在が消滅することに対する潜在的な恐怖により、「自身の最期」がどうなるのかを真正面から捉えることを避けようとします。
逆にそういったことを日常的に意識するようになり、ことさらネガティブに捉えるようになると、時として気分が滅入るものです。うつ病の方などはそういう一面もあるでしょう。
私自身は高校2年の時に「自分が生身の人間であること」を再認識したと述べましたが、あとから考えてみると、所詮それは疾患による一時的な身体変化の範囲内のことでした。
本当の意味で「身体の衰え(老い)」を実感したり、「人生の終着点」を考えるようになったのはもっと後…そう、40歳を過ぎてからのように思います。
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