不運にも「B型慢性肝炎」と診断されてしまった、高校2年生のころの私。
前回述べたように、主治医の先生は当初、私が訴えた「吹き出物や倦怠感と、内科疾患との関連性」をまったく疑っていなかったように思えます。
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1.医師の診断ミスはあったのか?
私の考えはこうです。
その先生が誤診したとまでは私は思っていません。おそらくは医師としての経験と判断に基づき、なんらかの意図をもって漢方薬などを処方されたのでしょう。
余計な検査などは、患者さんに無用な身体的・経済的負担を与えることも事実であり、良心的な医師ほど不必要な検査を乱発しないものです。
また、吹き出物や倦怠感を症状とする疾患はほかにもたくさんあります。私は、たまたま予想が的中したに過ぎないとも言えます。
もし私が詳しい検査を要求しなければ、治療開始はもっと遅れたかも知れませんが、それは結果論であり、その先生をことさら責める気にもなれません。
しかしあえて言うならば、医療専門職には、患者さんの自覚症状や身体徴候といった医学的所見からあらゆる可能性を想起し、取捨選択しながら最終的な診断に結びつけていく能力…いわば、「臨床的推論能力」が求められるのです。
2.自分のからだは自分が一番分かっている?
「自分のからだは自分が一番よく分かっているのだから、余計なお世話だ!」
こう言って、医療者側の助言を受けつけず暴飲暴食などの不養生を繰り返し、さらに症状を悪化させる患者さんもいらっしゃいます。
病気はあらゆる観点から多角的に評価し、それを診断・治療に結び付けることが大切です。
私の経験上、「自分のからだのことを一番よく理解している」のが患者さん自身かどうかは疑わしいです。
病気を多角的に評価するためには、やはり多くの専門知識と治療の経験が必要だからです。
ただ、ひとつ言えることは、「からだがだるい…」といった訴えは、まさにその人自身が感じていることであって、他人には絶対に共有できないものです。
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3.患者さんの訴えに耳を傾けることの大切さ
「吹き出物」といった視覚的に捉えられるものであればともかく、「だるい」とか「痛い」「かゆい」などといった自覚症状は、患者さんの主観でしか語れない感覚です。
ですから、医師を始めあらゆる医療専門職にとって最初にすべき大切な作業は、
患者さんの訴えをできるだけ詳しく聴取することです。
これはみなさんおなじみの「問診」というものです。
ここに時間を惜しまず、患者さんと積極的にコミュニケーションを図りながら訴えを聴取し、熱心に記録をとっている医療専門職の方がいたとしたら、その人は概ね「信頼できる医療者」と言ってよいでしょう。
4.自覚症状は「もれなく」伝えること
もうお分かりかと思いますが、患者さんの側も、問診を受けるときの心構えや準備をしておくことが大切です。
私自身の失敗としては、当初の受診のおもな理由が「吹き出物の治療」のみであったこと、そして常に自覚していた「長期にわたる倦怠感」が日常生活のなかで当時それほど支障にはならなかったこともあって、診察の際に「からだのだるさ」を強調して訴えようとしませんでした。
そこには、「白衣を身にまとった医師」に対する遠慮や、私の訴えにまともに取り合ってくれなかった両親に対する気おくれのようなものもあったかもしれません。
しかし、私の場合それが医療者側の判断を遅らせてしまった可能性はあります。
病院へ受診する際は、可能であれば自身の症状の経過を時系列に記載したメモなどを持参し、それに基づいて問診を受けることが望ましいです(とくに経過が長期間にわたっている場合は)。
「問診の重要性」については、いずれまた当ブログの別カテゴリーのなかで述べていきたいと思いますが、これこそが私自身の病気とのかかわりのなかで最初に得られた教訓と言えるかも知れません。
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