当時私が通っていた高校は、通学手段は「原則的に徒歩、もしくは公共交通機関」と、校則で決まっていました。
しかし入院中の病院から学校までの経路を考慮すると、どちらの手段でも身体的な負担が大きいということで、私は自転車で通学することを特別に許可されました。
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1.無知による偏見
ある日の朝早く、私が自転車で正門をくぐった時のこと。
生活指導を担当していた若い国語教師がそれを目ざとく見つけ、咎めるような口調で私に話しかけてきました。
「おい、おまえ何で自転車で来てるんだ?」
私の特別措置については、もちろん全教員で共有するという話になっていたはずですが、当時全生徒数1,500名という県内でも有数のマンモス校でしたから、把握していない教師がいてもある程度しかたないとは思います。
しかし普通に考えて、原則自転車通学禁止なのですから、何か特別な事情があるのだろうということは容易に想像がつくはずですが…。
「今、入院しているので…病院から来てます」
「どこが悪いんだ?」
「はい…肝臓です」
するとその教師は、ふん、と鼻で笑いながら、
「肝臓? 酒の飲み過ぎじゃないのか?」
そう言いました。
私はその時、なぜか苦笑するしかありませんでした。
教師も、笑いながら立ち去っていきました。
もともとその教師は授業中でも単に「厳しい先生」というのではなく、悪い意味で高圧的であり、よい印象を持っていませんでした。
だからこそ私は、まともにやり合ってもしかたない…というあきらめもあり、また詳細に説明するわずらわしさもあって、思わず「苦笑い」だけで済ませてしまったのでしょう。
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2.怒りを忘れた、卑屈な私
しかし、このことがあってから私は自転車で堂々と通学するのが億劫になりました。
ほかの「違反者」と同様、学校の近隣のマンションの自転車置き場にこっそり駐輪し、歩いて正門をくぐるようになったのですが、これがまた別の生活指導の教師に見つかり、咎められてしまったのです。
その時、両親からは「ちゃんと許可されているのに、なぜわざわざそんなことを…」と問い詰められました。
しかたなく「酒の飲み過ぎ…」の件を話したところ、両親は「今すぐ学校に電話する。その教師に謝罪させる!」と、烈火のごとく怒りました。
私はそれ以上事を荒立てることを望まなかったので、「もう済んだことだから、謝罪はいらない」と、むしろ親をなだめる側になっていました。
誤解のないように申し上げますが、私の親は「モンスターペアレント」と昨今いわれるようなクレーマーではなく、当時のご時勢もあって体罰教師などに対しても比較的容認派だったと思います。
その両親が怒ったのも今考えてみると当然のことのように思えますし、謝罪の要求もある意味妥当と言えるかもしれません。
当時の私はなにごとにも卑屈になっており、病気に対する偏見への怒りを、自身のパワーに転換する気力もありませんでした。
しかしこのことも、のちの自分にとって重要な人生経験になったのは言うまでもありません。
これぞまさに「反面教師」というものですね。
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