F主任が離脱した後も、もちろん回復期病棟でのHさんのリハビリは続きます。
しかし、心身の衰弱は進んでいく一方でした。
入院から2ヶ月半の時点で、脳腫瘍の摘出手術を受けた「B病院」へ再受診することとなりました。
前回の受診から、約1ヶ月が経過していました。
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12.検査の結果…
B病院での検査の結果は、端的に言うと「脳浮腫の増悪を認める」というものでした。
これは、悪性髄膜腫が再び拡大しつつあることを示唆しています。
前回の受診の際には無かった所見ですが、悪性の脳腫瘍の場合、数週間で一気に状況が悪化するというのは有り得ることです。
危惧していた予測が、現実のものになりました。
この検査結果を受け、当初は再手術を目的としたB病院への転院が決定しました。
ところが、どういうわけか
「手違い(?)があった。現在空きベッドが無い」
という連絡があり、転院は一旦延期となってしまったのです。
どのような経緯があったかは今以て不明ですが、足止めを食らっている間もHさんの身体機能低下は徐々に進んでいきます。
もちろん、ご本人・ご家族ともにできるだけ早い転院・再手術を希望していました。
「B病院に見捨てられるのでは?」
Hさんは、時々そんな不安を口にしていました。
表情はいっそう険しくなり、精神的に追い詰められている様子が伺えました。
自暴自棄になったHさんは、リストカットなどの自傷行為に及びます。
業を煮やした主治医と看護師長はB病院に対し再三、転院受け入れの催促をしました。
すると今度は、
「1ヶ月先まで手術予定が詰まっているので、現在受け入れ不可。再手術までの間、体力維持のためのリハビリをそちらでお願いしたい」
という、冷たい回答のみでした。
その間、私がPTとして行なったことは、
◆ベッドからの起き上がり・車いす移乗などの動作訓練
◆腰痛への対処(物理療法・マッサージ)
くらいのものでした。
動作訓練とは言っても、衰弱した身体に積極的な負荷は掛けられません。
…現状、OTとしてはこれ以上する事がありません。
対象外 なので、介入を終了してもいいですかぁ?
こう述べて介入を放棄したF主任に対して苦々しく思った私ですが、正直言ってPTとしても打つ手は限られていました。
痛みの訴えを伺いながら、延々とリラクゼーション・マッサージを行なう日もありました。
痩せてゴツゴツしたHさんの腰をさすりながら自身の無力さを痛感し、ただ虚しくなるばかりです。
そして入院から3ヶ月半、ようやくHさんはB病院へ転院しました。
13.Hさんの気持ち
Hさん転院後のある日、私がひとりナースステーションでカルテを記入していた時のことです。
看護師長が、ふと話しかけてきました。
Hさん、どうしてるかしらねぇ…。
そうですね…手術、うまくいってるといいんですが…。
あのねぇ…Hさん、あなたの事をよく話してらっしゃったのよ。
え、どんな事ですか?
師長によると、
「彼は、僕の気持ちを一番よく理解しとった」
「リハビリ中、何か気の利いたことを言ってくれるわけじゃない。でも彼は、僕の辛さをいつも分かってくれてた。それは黙ってても分かる」
Hさんは転院する前、このように私のことを褒め、信頼して下さっていたというのです。
私は、愕然としました。
師長に対し、何と言葉を返してよいかも分かりませんでした。
私、感動して涙が出そうになったわよ。N先生(リハビリ専任医)からは「すなおPTには言うな」って口止めされてたんだけどねぇ。
…どうしてN先生は、私に言うな、っておっしゃったんでしょう?
それはね、患者さんに褒められて、あなたが自信過剰になってはいけないからって(笑)
なんでやねん…そんなわけないでしょ。
実際、私はF主任の唐突な「離脱宣言」に対しても、事なかれ主義的な対応しかできなかったことを自覚していました。
もし私が本当にHさんの気持ちを理解していたなら、間違いなくF主任に真っ向から反論するなり、対話の糸口を見いだそうとしていたことでしょう。
そして、最終的にはPTとして打つ手のないまま、漫然とマッサージをしている自分を恥じてもいました。
さらに師長は、こう付け加えました。
私たちだって、どうアプローチしたらいいのか分かんなくて手詰まりになることもあるわよ。
でもね、OTさんと違って「する事がないから終了」なんて病棟看護師には言えないのよ。
看護ケアは患者さんが入院してる限り、ずっと続けないといけないんだからね。
F主任への痛烈な批判なのでしょうが、これは療法士に対する最大限の皮肉とも言えます。
師長としては、同じ療法士の私や、リハビリ科をも暗に批判するという意図は無かったのでしょうが、私の心にはグサリと突き刺さりました。
私がPTになったきっかけは、自身の長期療養体験を通じ、「同じように病気やケガで苦しむ患者さんのために役に立ちたい」と思ったからです。
自分目線の捉え方で申し訳ないのですが…初心を貫き通せていない我が身を振り返るきっかけを、Hさんは与えて下さったのかも知れません。
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14.さいごに
再手術後、Hさんは再びこちらの病院に戻り、リハビリを行なう予定となっていました。
けれども、その後Hさんが戻ってくることはありませんでした。
Hさんとの関わりは、こうして終わりを迎えました。
それ以降もPT・OT間の溝は深まっていく一方だったのですが、続きはまた章を改めて投稿したいと思います。
この『すなおのPT失敗談』シリーズでは、私の今までの職場経験における七転八倒を綴っており、時に「医療の負の側面」を映し出す内容となりがちです。
それでも、私としては失敗体験をできるだけ客観的・多角的な視点から分析し、読者の皆様にとって有用なものとなるようにしたいと考えております。
何とぞご容赦下さい。
最後までご覧下さいましてありがとうございましたm(_ _)m
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