松葉杖練習中にブチ切れた患者・Nさんと、それに対して逆ギレした担当PTのYさん。
私が間に入って何とかその場は収まり、Nさんは無事入院することとなりました。
対応が終わり、自分の担当患者さんの診療も終えて一段落ついた私は、スタッフルームへ戻りました。
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5.一段落の後…
Yさんは、同じ経験2年目の女性PT「Sさん」と話をしていました。
会話の内容から、ことの顛末はすでに彼らにも知らされているようでした。
ほんと大変だったよね~。
うん……。もう、自分で自分に腹が立つわ…。
まぁまぁ、あんまり考え過ぎないで…仕方ないよ。
あ、すなおさん。さっきはありがとうございました。
あぁ、Yさんも大変だったね…。
私はそれ以上、Yさんに対して話すことはありませんでした。
彼自身それなりに落ち込み、また反省しているだろうと感じたからです。
「事件」の場に居合わせていなかった科長には、私とリハビリ助手から事の成り行きを報告しました。
その後、科長からYさんに対し、対応のまずかった点について注意がなされたようでした。
そして翌日、私が経験4年目の女性PT「Tさん」と話をしていた時のことです。
すなおさん、昨日は大変だったみたいですね。
患者さんの方もちょっとどうかと思いますけど、Y君もキレちゃったらダメですよねぇ…。
まぁね。こちらが感情的になってしまったら収拾がつかなくなるから…。
ですよね~。
で、Y君には厳しく注意して下さったんですよね。
彼、何て言ってました?
いや、僕からは特に何も…。
え…どうしてですか?
それは僕の役割じゃないと思って…。科長が直々に注意して下さったらしいからね。
それはおかしいですよ。
すなおさんが全部フォローしてくれたんだから、彼に直接注意するべきですよ!
そうかな…。
当たり前ですよ。だって私たちの先輩じゃあないですか!
すなおさんは、Y君に注意する資格は充分ありますよ!
………。
6.組織が求める「中堅PT」の役割
私が直接注意しなかったのは、科長から直々に訓告があったから…ということもありますが、私なりの理由(というか、言い訳)もありました。
私は当時6年目のPTであり、リハビリ科職員の中では8年目の科長に次ぐ2番目の経験を有していました。
経験年数としては、いわば「中堅PT」的な存在です。
また、私は少し「遠回り」をしてPTになったこともあり、年齢的には科長を凌ぐ最年長でした。
その一方、私は5年目の終わりに前の職場を辞めていたため、移籍してからの勤務年数は、その時点でまだ1年弱でした。
すなわち、私にとってYさんはPTとしては4年後輩ですが、その病院の職員としては1年先輩だったわけです。
私は当時、
「外様」のくせに先輩風を吹かす、面倒なPT
そう思われることを極度に恐れていました。
患者さんに対しては、経験相応にある程度の対応はできるようになっていたのかも知れませんが、一方で職員同士のコミュニケーションという点では、苦手意識が強かったのだと思います。
しかしそうした過剰な遠慮は、時として組織に悪影響を及ぼすこともあります。
今回のケースでは、的確な注意・指導をしなかったことで、YさんのPTとしての能力向上を妨げてしまったのかも知れません。
中堅PTとしては、後輩をしっかり教育・指導することでリハビリ科全体のレベルを底上げし、ひいては「良質な医療を患者さんに提供すること」につなげていく役割があるのだと考えられます。
しかし当時の私は、「組織」が自分に求める役割とは何なのかを客観的に判断できていなかったのでしょう。
恥ずかしながら、私は4年目のTさんに強く指摘されて、初めてそれに気付いたというわけです。
これが、今回の事件における私の最大の失敗でした。
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7.背中を見せるということ
それでもなお、私は今回の件でYさんに対し直接指導することはありませんでした。
やはり、当時の私の中では「遠慮」の方が勝ってしまったようです…(^_^;)
ともかく、ここで最も大切なのは、同じ過ちを繰り返さないようにするため組織として対策を講じることでしょう。
Yさんは技術的にも劣るところはなく、患者さんとのコミュニケーションにも特に問題のない、経験2年としてはなかなか能力のあるPTだったと思います。
それでも今回のような事になってしまったのは、
◆松葉杖指導に関しては、未だ経験不足であったこと。
◆チームとしてのフォローが不十分であったこと。
この2つが遠因と考えられました。
この出来事の後、私は松葉杖のオーダーが来た時には可能な限り「いの一番」に指示箋やカルテをチェックするようにしました。
松葉杖担当をローテーション制とすることに変更は無かったのですが、担当PTがその時必ずしも手が空いているとは限りません。
それに、今回のような難しいケースでは、当番のPTにとって「荷が重い」ことも考えられます。
私はそれを指示箋・カルテから読み取り、各PTの業務多忙度も見極めた上で、必要に応じて担当者を変更したり、適宜フォローに入るなど、全般的なマネジメントを引き受けました。
また、明らかに難渋しそうな症例については私自身が積極的に担当するようにしました(自分の担当患者さんもいる中で、それなりに大変ではありましたが…)。
このような業務は本来、科長・主任といった役職者が行うことなのですが、当時はスタッフの絶対数が少なく多忙を極めていたため、私の振る舞いは幸いにも「出しゃばり」とは受け止められませんでした。
私がそういう姿勢で業務をしていると、嬉しいことに「あ、松葉杖ですか? 私、行きましょうか?」と自ら担当を買って出る後輩PTも現れるようになりました。
そして私独自の指導方法を、彼らもさりげなく参考にしているように見受けられました。
「背中を見せる」とはこういう事なんだな…とつくづく感じたものです。
ちなみに、松葉杖の指導方法に関する若手PTへの教育は、それまで全く行なわれていなかったようです。
かく言う私自身も最初の職場では「見よう見まね」のようなもので、きちんと教育を受けたことはありませんでした。
そもそも、PTの養成校教育においても「通り一遍」程度のものなのです。
この時に作成した「松葉杖指導マニュアル」が、当ブログの過去記事につながっているのは言うまでもありません(^_^)
8.さいごに
当時の私は、自分が他の職場から移籍してきた「外様」であるという意識が強く、周囲に対しことさら遠慮しがちでした。
それでも周りから見れば私は最年長であり、かつ経験年数も2番目に長い。まさに「中堅PT」の立場でした。
この事件を契機に、私は組織の中でのリーダーの役割が重要であることを再認識しました。
そして「責任と権限」、すなわち役職を背負うことも、いずれ避けては通れないのだと思い知らされたのです。
今回の出来事は、「生涯いちPTで良い」という考えを捨てる最初のきっかけになりました。
のちに私は科長になるのですが、そこに至るまでの紆余曲折についてはまたの機会に述べたいと思います。
最後までご覧下さいましてありがとうございました(^_^)/♪
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